商社OEMを奈落の底に落としたのは、中国企業

 当時からアパレル産業の分析は的外れなものばかりだった。アパレル産業には、まともに「コンサルティング」という技術を学んだ人は少なく、グレイヘアと呼ばれる経験で語る人ばかりだったからだ。
 例えば、「直接貿易」といって、商社をはずす直貿が加速したのは、アパレルが商社外しをしはじめたからだ、ということに誰も疑問をもっていない。しかし、そんなことが可能なら、最も儲かっていた90年代半ばになぜそれをやらなかったのか、ということだ。
 直貿が加速し、商社の付加価値が薄れてきたのは、中国の公司など、海外工場が商社機能を持ち始めたからだ。例えば、現在、日本には、デジタル国家世界第二位の中国工場の支店が山のようにあり、彼らが、商社と同じサービスをアパレルに提供している。これをもって、商社の人間は、「あんなものは直貿じゃない」と高をくくって目をそらしているが、アパレル側からすれば「同じ」である。
 さらに、もう一つ重要な示唆は、商社もリテール戦略と称し小売市場に出たり、アパレルを外し専門店に直接販売する、あるいは、海外に対して商社機能を持たせるなどの取り組みをしてきたが、ほぼ全てが失敗してきたということだ。
 唯一成功したのは、伊藤忠商事や三菱商事など、有能な人材の宝庫である「総合商社」だった。伊藤忠商事は、当時からブランドビジネスに軸足を移し、OEMはスポーツやユニフォームなど、ファッション商材から離れ、ユニクロ的支援(生産が安定し機能価値を訴求する商材)ができるところに軸足をうつし、いわゆる「ブルーオーシャン戦略」を展開。私が「商社2.0」で提案した「商社は投資業務にシフトせよ」を組み込み、「随伴トレード」(M&Aでアパレルに経営者を送り込み、仕入を自社誘導する)を拡大させた。
 また三菱商事は、「常駐ビジネス」を拡大し、工場のラインを買い、アパレルにチームを常駐させて生産部の機能保管をしていった。三井物産は、ファイブフォックスとシステム統合をし、専門商社がサンプル対決を繰り返しても、すべて三井物産経由で伝票が通る仕組みをつくった。これらは、OEM以外のことができる人材がいたからできたともいえる。
 しかし、こうした戦略も、「日本の中で一定規模のアパレル製品が売れること」が前提だ。日本市場が縮小しアパレル商品が売れない今、これらは機能不全に陥っている。加えて、こうした時代を生きてきた人間が経営幹部になったことも相まって、コンプライアンスもあり商社は金縛りになり、大胆な発想で動けなくなった。こうした中、全く異なる戦略が必要となってきた。すでに商社の業界再編は進んでいるが、
 次回は、商社が自ら戦略を立案し復活のための提言したい。

提供元・DCSオンライン

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