フィールズ賞の受賞者が発表されました。
数学界のノーベル賞と言われるフィールズ賞は4年に1度開催される国際数学者会議(ICM)において決定され、今年は4人の数学者に対して栄誉が送られました。
彼らの業績を理解するのは困難ですが、どんな人たちであるかは興味があります。
そこで今回は彼らに対して行われたインタビューの要約を紹介したいと思います。
発表内容の詳細は『国際数学連合』のホームページにて公開されています。
目次
「受賞の知らせが迷惑メールの欄に届いていた」ヒュー・デュミニル-コピン氏
「詩人を夢見て高校を中退した」ホ・ジュンイ氏
「受賞の知らせが迷惑メールの欄に届いていた」ヒュー・デュミニル-コピン氏
最初に紹介するのは「相転移の確率論」における長年の問題を解決した「コミュ力ギガ盛り系数学者」のヒュー・デュミニル-コピン氏です。
どんな経緯で数学者になったのですか?
はじめは天文学に興味があり、数学者が実在する仕事とは考えられませんでした。
しかし高校から大学にかけて、次第に数学が好きになり、数学の教師になることを目指すようになりました。
「(数学の)研究」の面白さを実感したのは大学院に入ってからで、そこから数学者に向けて一直線でした。
学生時代には、どんな数学の分野が好きでしたか?
学生時代には好きな数学の分野はありませんでした。他の数学者が恋に落ちてしまうような分野を私は素通りしてきたのです。
しかし確率論だけは違いました。確率論は私が好きな全てを兼ね備えていたのです。
特に物理現象を統計的に解釈する統計物理学との出会いは素晴らしいものでした。
(※氏がフィールズ賞を受賞したのは確率論の分野での功績がみとめられたからです)
研究する対象はどのように選んでいるのですか?
証明しようとする結果と過程に美しさがあること、そして解決の過程が段階的に分解ができることが重要だと思っています。
美しさを感じることは創造性を発揮するために必須であり、段階を経ることは長期的な目標を達成するのに必須だからです。
また私にとってアイディアというものは「集団で出てくるもの」であり、最も必要な瞬間には出てきてくれません。
段階を踏んで組織的に進めることは、アイディアを生かすためにも重要となります。
ただ現実問題として、常に段階的なアプローチが上手くいくわけではありません。
興奮のあまり、あらゆる考えが湧き出て、原稿が何ページも積み重なり、そして共同研究者とのコミュニケーションも非常に激しくなる瞬間があります。
この瞬間は非常に疲れますが、私は科学者というのは、この瞬間のために存在すると考えています。
「ひらめき」が降りてきた瞬間はありますか?
はい、今でも鮮明に覚えています。その日はごく普通の日でした。
友人であり長年の共同研究者であるタシオン氏と雑談をしていると、突然、当時私が取り組んでいたものとは全く別分野の式証明が頭に浮かんだのです。
このときの証明は後に、現在統計物理学の教科書に記載されるほど有名になりました。
この話で注目すべきは、無目的ですが知的な言葉のラリーが、まったく新しい発見につながったということです。
それ以来、私は味をしめてしまい、無目的な議論を積極的に行うようになりました。
幸い、無目的な議論はその後何度も、新しい「ひらめき」をもたらしてくれました。
私にとって研究とはグループ体験です。
仲間と一緒に仕事をすることで得られる知的な体験が、私がこれまで手掛けてきた研究成果の大部分を占めています。
教授として数学を教えることはインスピレーションにつながりますか?
学生との交流や授業の準備に必要な内省(顧みること)、そしてそこからうまれるアイディアは、数学者にとって必須です。
以前、(学生とかかわらない)純粋な研究機関に勤めていたとき、教えることがあまりにも恋しくなったことがあります。
私が思うに、数学者にとって教えることは呼吸のように必須なことだと思っています。
研究から離れる機会は、自分の心に酸素を供給する機会でもあるからです。
数学の面白さを理解してもらうにはどうしたらいいでしょうか?
子供のころ、国語が嫌いだった人でも大人になって文学にハマる人がいます。
勉強としての国語と楽しむための文学や読書とが違うことに、多くの人々が気付いているからです。
しかし残念なことに、数学では同じようにいきません。
子供のころに数学が嫌いになった人々のほとんどが、大人になっても数学が嫌いなままです。
この問題の原因は、数学が実用的なツールとして考えられている点にあります。
これは大きな間違いです。
文学の美しさや楽しさが多くの人々によって共有されているように、数学の美しさや楽しさも多くの人々が触れられるようにすべきです。
そのためには、大人たちは子供に「数学が便利だよ」と言って学ぶように説得するのではなく「数学は楽しいよ」と言って自発的に学べるように誘導すべきです。
受賞の知らせを受けたときの様子を教えてください。
当時私はある数学の議論を超集中的に行っていました。
そのためメールを確認する暇がなく、受賞を知らせるメールが迷惑メールの欄に届いてしまったことに気付けませんでした。
だから受賞に気付いたのは2通目のメールを受け取ったときでした。
受賞直後に感じたのは、賞の持つ責任の大きさです。
フィールズ賞を受け取った数学者は、自分の専門分野を大衆に紹介するための大使のような役割をしなければならないからです。
私はコミュニティーの期待を裏切らないように最善を尽くしたいと思います。
「詩人を夢見て高校を中退した」ホ・ジュンイ氏
次に紹介するのは、異色な経歴を持つ、韓国系アメリカ人のホ・ジュンイ氏です。
子供時代のホ氏は、数学の成績が良くなく、苦手意識を感じることもありました。
また高校に入ったものの詩人を夢見て中退してしまうなど、典型的な数学者とはかなり異なる人生を歩んできたようです。
ただその後は思い直して、高卒認定試験を経てソウル大に入り、ミシガン大学で博士号を取得することになりました。
数学者になるまでの経緯を教えてください。
私は学生時代も大学時代も、数学が得意だったことはなく、関心もありませんでした。
私にとっての数学は他の人々と同じく、遠い昔の人が書き記した記号をただ読んで、聞き流すだけのものでした。
しかしフィールズ賞を受賞した広中平祐教授がソウル大学で行っていた数学の授業を聞いたことで、転機が訪れました。
(※広中平祐(ひろなかへいすけ)は日本の数学者で、代数幾何学の研究で日本人で二人目のフィールズ賞受賞者となった人物)
そのとき私は初めて、数学を本当に「やっている」人を見たんです。
その後は教授の事務所を訪ねるようになり、いろいろな話を聞かせてもらい、数学をすることが自分にとって自然なことと感じるようになりました。
学生時代には、どんな数学の分野が好きでしたか?
子供の頃は数学そのものが好きではありませんでした。
しかし今から振り返ると、数学的と言えるようないくつかの経験をしていたかもしれません。
例えば中学生のころ、テレビゲームの中で出会った特殊なチェスの問題にハマって、1週間以上、パズルを解くために全精力を費やしたことがあります。
すると、ほとんど諦めかけていたとき、問題の本質が見え始め、答えにたどりつけるようになりました。
パズルを理解するには他の方法がありましたが、直感がはたらいたのは1つだけでした。
このとき私は、何かを理解するとはどういことかを感じたのです。
研究する対象はどのように選んでいるのですか?
問題に取り組んでいるという感覚はありません。
問題の解決法は向こうから私のところにやって来てくれるのです。
何もしないで座っていると、自分が選んだわけでもない内容を考えるようになり、頭の中で問題の発見と理解がランダムに起こり始めます。
私は自分の考えることをほとんどコントロールできません。
そのため私自身が積極的にすべきことはあまりなく、答えは自然に生成されるのです。
ただこのような(自動的な)理解を行うには脳に大きな空き容量が必要であるため、できるだけ自分を開放するようにしています。
「ひらめき」が降りてきた瞬間はありますか?
面白いことに、そのような劇的な瞬間は記憶にありません。
覚えているのは、あるポイントを理解する必要があると気付いた瞬間、既にそのポイントが理解されていることです。
私たちの心は私たちの意識を越えたところにあるものも把握できるようですが、それは私たちの知らないところ(無意識)で起こっているのです。
ただその過程が進んでいくことは面白いと感じています。
数学の知識を集め思考を訓練するのは、神秘を体験するために必要な前準備だと思います。
今回の受賞に最も貢献した人物は誰ですか?
リストアップするのは難しいです。
論文を拾い読みしたり、図書館をぶらついたり、食堂で座っていると(数学的発見につながる)ヒーローやヒロインに出会うことができます。
この10年間は、まるで古代神話の1章を生きているようでした。
(発見のキッカケとなる)何百人もの登場人物がいて、それぞれがユニークな特殊能力を持っているように感じました。
彼らの心とつながることができたのは、昔も今も光栄なことです。
晴れた日などは、私はまるで自分が巨大な地下の菌類ネットワークにつながれたキノコのような存在に感じて、いい気分になれます。
受賞を知ったとき、どんなことを感じましたか?
まずは先生方や共同研究者たちに感謝の念を抱きました。
彼らはすべて、私の数学的発見の源だからです。
私は彼らが植え付けたアイディアの器に過ぎないからです。