起こってしまった後は「これから」を考える
追突した女性は気が動転していました。気の毒に、全身が震えてパニックになり、その場で泣き崩れてしまいました。何度も何度も謝られ、「どんな保障でもしますから」とお詫びをされました。
正直なところ、私はせっかくの新車がグシャグシャになってとても悲しかったです。この車には短い期間とはいえ、時間を作って阿蘇山へ出かけたり、きれいな星空や夕焼けを眺めに行ったりたくさんの思い出が詰まっています。修理できるものなら修理をして、またこの相棒と一緒に思い出を作っていきたいと思います。
しかし、起こってしまったことをどんなに嘆いても時計の針を戻すことは出来ません。彼女には「必要な手続きは保険会社がやってくれるので、今日のことは早く忘れてゆっくり眠って休んでください」と伝えました。私の気持ちはすでに次に向かっていました。仕事へ行くための足はどうするか?保障の手続きをどう受けるのか?念のため病院の診断を受けたほうがいいのか?様々な「これから」が脳裏を交錯しています。彼女への怒りはまったくありませんし、必要な手続きを最短最速で済ませて早く元の生活に戻りたいと願うのみです。
本当にいい意味でも、悪い意味でも人生は何が起こるのか分かりません。昨日のことも考え方によっては良かったことかもしれません。ノーブレーキでの追突で外傷は何もないこと。相手は保険に加入しており、必要な保障がなされること。何より、奥さんや子供が車に乗っていなかったこと。そして様々な教訓を得られたことです。これらの状況が違っていたならば、私は取り戻すことができない損失を被っていたかもしれません。そう考えると大事がなかったのは幸運といえるかもしれません。
今回の件に気落ちせず、また新しい一日を精一杯楽しみたいと思います。
文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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