ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンといえば知らぬ人はいない18世紀の天才作曲家です。

しかし、彼は残酷なことに若くして難聴を患い、晩年にはほぼ聴力を失っていました

では、なぜベートーヴェンは聴力を失いながらも作曲を続けることができたのでしょう?

そこには、当時はまだ十分に理解されていなかった骨伝導を巧みに取り入れた、ベートーヴェンの執念とひらめきがあったのです。

目次

  1. ベートーヴェンの悲愴な運命
  2. 骨伝導を発見したベートーヴェン
  3. ベートーヴェンにまつわるミステリー

ベートーヴェンの悲愴な運命

骨伝導は「ろう者ベートーヴェンの執念」から実用化された
(画像=音楽家ベートヴェンは難聴という過酷な運命に阻まれていた / Credit:canva、『ナゾロジー』より 引用)

若くしてモーツァルトに匹敵する新星と見なされ、作曲家としての名声を早い時期から確立していたベートーヴェン。

彼は一見成功者のように見えます。しかし、その運命は非常に苦難に満ちたものでした。

その理由は、彼が若くして患っていた難聴です。

ベートーヴェンはすでに20代後半から難聴の症状が現れはじめ、28歳の時点で十分に自覚するほど悪化していました。

音楽家であった彼にとって、聴力を失うことは、画家の失明や、彫刻家が腕を失うことに等しい絶望的な出来事だったでしょう。

しかし、ベートーヴェンは簡単には諦めませんでした。その決意は彼の残した言葉にも現れています。

「神がもし、世界でもっとも不幸な人生を私に用意していたとしても、私は運命に立ち向かう。

 私は運命の喉首を締め上げてやるのだ。決して屈したりはしない!」

ベートーヴェンの代表作といえば「運命」ですが、彼はまさに過酷な運命に精一杯あらがった人物だったのです。

実際に、ベートーヴェンは聴力を大きく失った1803年から1812年にかけて次々と名曲を生み出していて、その数は72曲にも上ります。

では、耳が聞こえない彼はどうやって数々の作曲を成し遂げたのでしょうか?

骨伝導を発見したベートーヴェン

通常、音は空気の振動として伝わり、私たちの鼓膜がその振動を感じ取って内耳(聴覚神経)へと伝えていきます。

しかし、音を聞く方法にはもう1つあり、空気の振動以外に、体内の骨の振動も直接内耳へと音を伝えます。これが骨伝導です。

初めて自分の録音した声を聞いた人は、たいてい変な声だなと違和感を覚えます。

これは自身の発する声が、空気の振動と、体内の骨伝導を合わせた音として聞いているためです。

録音では骨伝導の音を感じないため、普段の自分の声と違って聞こえるわけです。

耳を塞いで喋っても自分の声がちゃんと聞こえるのも、骨伝導で自分の声を聞いているためです。

ベートーヴェンの難聴は、現代では耳硬化症だったのではないかといわれています。

耳硬化症は耳の深部にある「アブミ骨」という部分が硬化して動きが悪くなり、鼓膜の振動が内耳に伝わりにくくなる病気です。

骨伝導は「ろう者ベートーヴェンの執念」から実用化された
(画像=耳硬化症は内耳のアブミ骨の硬化で鼓膜の振動が伝わりづらくなる病気 / Credit:河野耳鼻咽喉科、『ナゾロジー』より 引用)

耳硬化症による難聴では、鼓膜を介さない骨伝導なら音を聞くことができます。

そしてあるとき、ベートーヴェンは自らその事実に気づいていたのです。

骨伝導の存在は、ベートーヴェン以前の時代にもその存在を発見して研究を行った学者がいました。

ただ、18世紀ではまだ聴覚の原理についてはほとんど理解されていなかったため、彼がこうした研究を知っていたかどうかは定かではありません。

ともかくベートーヴェンは、木の棒の一端をピアノに置き、もう一方を歯で噛みしめることでピアノの音を聞くという方法を思いついたのです。

骨伝導は「ろう者ベートーヴェンの執念」から実用化された
(画像=ベートヴェンは加えた木の棒を利用して骨伝導でピアノを演奏していた / Credit:zmescience、『ナゾロジー』より 引用)

これはある種の発明であったといって良いでしょう。

こうした原理は現代でも利用されていて、骨伝導式の補聴器は、銃声などの騒音の中でも通信を聞ける装置として兵士が利用したりしています。

また、ダイバーが水中で話したり聞いたりする際にも、骨伝導の補聴器やマイクが利用されています。

ベートーヴェンにまつわるミステリー

ベートーヴェンはなぜ若くして重い難聴を患うことになってしまったのでしょうか?

ここには諸説ありますが、正確なところは不明のままです。

その理由は、ベートーヴェンが難聴以外にも非常に多くの病気を抱えていたためです。

彼は炎症性腸疾患を患っていて、これらを原因とした慢性的な腹痛や下痢にずっと悩まされていました。

また、うつ病、アルコール依存症、呼吸障害、関節痛、目の炎症、肝硬変の患者でもありました。

特に彼の死因については、過度の飲酒が原因だったと考えられていて、検死では重度の肝硬変以外にも、腎臓や脾臓など多くの内臓に損傷が見つかったといわれています。

すでに過去の時代の人のため、現代において彼の死因や、難聴の原因を捜査することは容易なことではありません。

しかし、幸運なことにベートーヴェンの死後、当時の一般的な習慣として、音楽家のフェルディナント・ヒラーが亡くなったベートーヴェンの毛髪を記念品として一房切り取って保管していました

その後、ベートーヴェンの毛髪は1世紀近くの時を経て、デンマークの医師ケイ・フレミングの手に渡り、さらにその娘に譲られます。

記録では、フレミングの娘は、1994年に582本のベートーヴェンの毛髪をオークションに出品し、これを7,000ドルで米アリゾナ州の泌尿器科医アルフレド・ゲバラが落札します。

骨伝導は「ろう者ベートーヴェンの執念」から実用化された
(画像=オークションに出されたベートーヴェンの毛髪 / Credit:Wikipedia、『ナゾロジー』より 引用)

ゲバラは数本の髪を保管し、残りをカリフォルニア州サンノゼ州立大学のアイラ・F・ブリリアント:ベートーヴェン研究センター(the Ira F. Brilliant Center for Beethoven Studies)に寄付しました。

こうした長い経緯で、ベートーヴェンの毛髪は、現代においてDNA検査をはじめとしたさまざまな調査にかけられることになったのです。

この検査の結果明らかとなったのが、ベートーヴェンの毛髪から確認された異常に高いレベルの鉛でした

鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える有毒な重金属として現代では知られています。

しかしベートーヴェンの時代、鉛の危険性は知られていませんでした。

そのため、人々は鉛でできた食器で食事をし、鉛のゴブレットでワインを飲んでいました。

さらに、ベートーヴェンが好んだ当時のワインは、甘味料として鉛(酢酸塩)を使っていることがよくありました。

そのため、ベートーヴェンの不安定な精神状態や、難聴の原因は、鉛中毒だった可能性が考えられるのです。

ただ、これも一説にに過ぎません。

ベートーヴェンは40歳の頃には完全に聴力を失い、全聾の状態になっていて、訪ねてくる人物とは筆談で会話していたといわれています。

日本でも年末によく演奏される、彼の代表作「交響曲第9番」は、そんな完全に聴力を失った晩年の作品です。

この曲が初めて演奏されたとき、指揮棒を振ったベートーヴェンは、演奏後に聴衆の大喝采にまるで気づかず楽譜をめくっていたため、そばにいたアルト歌手が彼を聴衆の方へ振り向かせて、そこで初めて自分が喝采を受けていることに気がついたといわれています。

骨伝導は「ろう者ベートーヴェンの執念」から実用化された
(画像=ヨーゼフ・カール・シュティーラーによる肖像画(1820年) / Credit:Wikipedia、『ナゾロジー』より 引用)

しかし、こうしたベートーヴェンの極度に悪化した難聴については矛盾があります。

前項でベートーヴェンの難聴は耳硬化症だったという説を紹介しましたが、耳硬化症では全聾になるまで悪化することはないといわれています。

鉛中毒による難聴も同様で、全聾になるほど悪化はしません。

では彼の難聴はまったく別の理由だったのでしょうか?

これについては、逆に実はベートーヴェンは全聾にはなっていなかったという説も存在します。

実はベートーヴェンは、当時の政権に反乱分子と見られていたという話があり、晩年は筆談で話していたという事実も、全聾が理由ではなく盗聴を防止するためだった可能性が指摘されています。

ここからベートーヴェンは秘密諜報員だったという新たな説も生まれていて、諜報員としてベートーヴェンを描いた本なども発売されています。

ベートーヴェンは生涯で60回以上もの引越しを繰り返す異常な引越し魔だったという記録もありますが、もしかしたらそうした事実も新しい説と関連するのかもしれません。

ベートーヴェンの難聴と、その生涯には未だに多くの謎が残されているのです。

なんにせよ、ベートーヴェンが音楽家でありながら難聴に苦しめられ、その運命に必死にあらがいながら数々の名曲を生み出してきたのは事実です。

骨伝導の原理を駆使してでも、不自由な耳で作曲を続けた、波乱に満ちたベートーヴェンの人生を想いながら聞くと、彼の名曲の数々も違った味わいに聞こえてくるかもしれません。

参考文献
How a deaf Beethoven discovered bone conduction by attaching a rod to his piano and clenching it in his teeth(ZME SCIENCE)

提供元・ナゾロジー

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