一昔前、総合商社(Sogo-Shosha)は日本語が英語になった単語の一つとしてよく知られていました。私が就活をする頃の話ですからはるか昔です。その頃商社に対するあこがれはその後の金融機関への人気とは別格のものがありました。私が所属した大学の貿易ゼミは商社への就職者を相当数出す有名ゼミで同期も有名商社に何人も入っていきました。

そんな私も商社を意識した卒論で「東西貿易」(当時のソ連、東欧と資本主義国間の貿易)をテーマに研究していました。就活の際、ある専門商社の最終面接前にゼミの教授宛にその商社の人事部から問い合わせの電話。「『この学生はアカですか?』と聞かれよ」と教授が笑いながら教えてくれました。当時、ソ連や東欧を一人でほっつき歩いている学生なんていなかった時代です。

その頃の商社マンは世界の隅々、辺境地まで足を運び、情報をゲットするという点でユダヤ、中国華僑、日本の商社マンは命知らずの三大ビジネスマンと言われていました。山崎豊子の「不毛地帯」あたりの影響も大きかったのでしょう。イラン石油開発という国家プロジェクトにまい進する男のロマンは強烈な印象でした。あの頃は商社と共にプラント会社が日本の誇りで巨大装置を地の果てに作り上げる様子は「格好いい!」と思わせたものでした。今、プラント会社はすっかり斜陽になってしまいました。

さて、商社において情報がビジネスになった時代は30年前までで今では商社マンしか知らない情報を探すのが難しい時代となりました。それまでは口銭商売とも揶揄され、売り上げは巨額、利益はちょっぴりという体質でした。この体質改善が進んだのは商社冬の時代を何度か経験し、商社自体が自己変化したからなのでしょう。

5-6年ぐらい前までは資源投資に躍起になっていた商社もありますが、多額の損失を計上し、多くの商社がその投資姿勢を見直しました。世界のエネルギー需要とそれの取り込み方が大きく変わってきたことも理由の一つです。電力会社やガス会社が直接取引に参画するようになったこともあります。これにより商社のインフラを経由しなくても世界の資源を取り込めるようになったことは大きいでしょう。自動車のホンダは海外進出の際に商社を使わなかったことでも知られています。

では商社の役目は終わりなのか、といえばむしろ見えない形でより体力をつけています。5大商社の純利益はおおむね2000億円以上計上していますし、売り上げは5~7兆円規模を誇ります。何が変わったのかといえば投資事業による商売のインフラを作り上げたということでしょうか?

例えばコンビニは商社との取引が欠かせません。商品を卸すのが商社の関係会社であり、その卸会社に海外から食品を入手してくるのも商社だったりするわけです。つまり、複雑に絡み合う相関図が商社のビジネス網に張り巡らされていると言ったらよいでしょうか?

孫正義氏のソフトバンクは巨額資金を使ってITや先端技術の相関図を作っているのに対して、商社はもっと生活に密着した衣食住を含む生活のインフラの役目を果たしているとも言えそうです。

ここバンクーバー。買い付け側として多くの総合商社が存在しています。しかし、その体質はかつてと全く違ってきています。80年代、バンクーバーですら各商社の駐在員は10~20人もいました。人で溢れていたと言ってもよいでしょう。馬鹿々々しい話ですが、商社の奥様達は別働の婦人会を作り、上意下達の規律においてはご主人の会社より明白であり、一部の若手の奥様からは泣きが入ったという話も聞いたことがあります。

バンクーバーの商社は今や長年続く撤退、併合、人材削減の結果、一社2~3名いればいいという状態です。もちろん、別働の婦人会どころではありません。作業の効率化が進んでいるのだろうと思いますが、一方で新規投資はあまり目立たなくなったとも言えます。

若い方に「総合商社を説明せよ」と言ったらほとんどできないと思います。それはある意味、商社が商社のポジショニングをきちんとマーケティングせず、自社の利益に固執しすぎたともいえるかもしれません。今やニューヨークやロンドンで「ショーシャ」と言ってもはぁ?と言われるのが落ちでしょう。

高度成長期を経て成熟期にある日本企業において総合商社はシッカリ基盤を築いているけれどあまりにも裏方に回りすぎて目立たなくなったところに残念な気持ちはあります。それは商社に入る若者が「究極のモラトリアム(=やりたいことがわからないけどとりあえず商社に入る)の典型になっている」(日経ビジネス)である点も強烈なイメージを作り出せなくなったのでしょう。

そんな商社がWe Workに若手主体の新規事業チームを入居させているのは総合商社の喘ぎとも取れなくはありません。

「あなたの日々の生活は商社が支えています」ぐらいのもっと強力なポジショントークと押し出しを期待しています。

頑張れ「ソウゴウショーシャ」と応援したいところです。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年9月9日の記事より転載させていただきました。

文・岡本 裕明/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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