こんにちは!肥後庵の黒坂です。

ネットのお悩み相談掲示板では「努力しても結果が出ません。なぜでしょうか?アドバイスを下さい。」という相談者に対して、「あなたの努力が不足しているのだ!」という展開が少なくありません。お悩み相談内容は例えば仕事がうまくいかない、志望大学に合格できないといった様々なものがあります。私はこの自己責任論を使って、完膚なきまでに相談者を殴打する展開がどうにも好きになれません。説教をしている側は優越感があって気持ちいいかもしれませんが、言われている側には何も得るものがない「役に立たないアドバイス」だと思うからです。

結果が出ない理由の一つは「才能」がないから

望むような結果が出ない理由には確かに努力不足もあるかもしれません。しかし、「そもそもその分野に才能があるのか?」という方がはるかにでかい理由だと思います。「才能を持ち出されると、どうしようもないじゃないか!」とこれを読んだあなたは怒りを感じるかもしれません。

ですが「才能」は毅然たる事実として存在します。才能という肥沃な土地にタネをまかなければ、どんなに水をかけても芽が出て育つことは決してないのです。「成果が出ない=努力不足」と叱りつける前に「そもそもその分野に適性があるか?」ということに目を向けさせるアドバイスの方が建設的だと思うのです。

才能や適正がない分野は「きっぱり諦める」という勇気ある撤退が必要な場合もあります。私は会計学の勉強に10年近く費やしました。アメリカの大学では会計学を専攻し、毎日勉強をしていましたが常に苦痛を感じながら嫌々やっていました。成績は落第するほど悪くはありませんでしたが、はっきりいって頑張った分だけ成果が出ているとはいいがたい状況でしたね。

…とはいってもかなりの時間を割いて取り組み、毎日夜中2時過ぎまで大学図書館に残って問題を解いていました。ですが、当然嫌々やって成果が出るわけでもなく、大学の先生から「君は留学生で大変なのは分かるがもっと努力をしなさい」と叱られ、悔しくて寝る前に涙したことも今となっては懐かしい思い出です。

大学卒業後、帰国して外資系企業で英文経理・財務の仕事をやっていましたが、「勉強していた会計分野でプロになれた!」という充実感より、自分より優秀な同僚を見て自信をなくし、毎日の仕事や休日にやる勉強が辛くてたまりませんでした。努力をしても満足の行く成果が出ず、仕事や勉強の楽しさを感じられなかったのは、紛れもなく「才能の欠如」に他なりません。

今考えるととてもシンプルな話でしたが当時は分かりませんでした。今考えればなぜあんなにこだわっていのかが不思議なくらいですが、「これだけ会計学の勉強や仕事に時間もお金も使ってきたのだから!」という勉強に費やした時間とお金のサンクコストに囚われていたのだと思います。

そんな私は奥さんの一言で目が覚めました。それは「苦しんで我慢して仕事をするのはせっかくの人生もったいない。自分の能力が発揮できる、そして夢中になって楽しめる仕事に変えてみたら?」というものです。初めて言われた時、話は理解出来たものの、なかなか行動には移せませんでした。(そうはいっても30歳超えてまったく違う分野の仕事をするなんて社会はそれを許してくれるだろうか…?)と。一年ほど悩みに悩んだ結果、思い切って会計をスパッと捨て去り、今はフルーツギフトやライターの仕事をするようになって生活は一変しました。色んなアイデアが泉が湧いてくるようにあふれてきて、うまくいくとそれがとても充実していて楽しいのです。会計の分野に比べて圧倒的に適性があるのは明らかです。

この経験を踏まえて「能力の適正は自分ではなかなか分からないが、人からの助言によって気付くことがある」という事を理解できたつもりです。また、時間やお金は好きでたまらないことや、才能を発揮できることに割り当てるべきだと考えるように変わりましたね。

努力の質を改善して成果を出す!

もちろん、物事の成果は才能や情熱だけで語れるものではなく、「成果の出る方向に努力しているか?」という質が重要だと思います。いくらやってもうまくいかないことも、引っ掛かりを取り除くことで「スッ」と上達につながることもあるのではないでしょうか。

私は昔、英語ができない子を家庭教師で見ていたことがあります。その子は机に向かってそれなりの時間勉強を頑張っているのに、一向に成績向上の兆しが全然見られませんでした。勉強を教えていてすぐにその理由がわかりました。その子は英単語の暗記ばかりを頑張っていて、文法や長文読解の勉強にまったく手を付けていなかったのです。

英単語の暗記はやったらやっただけ新しい単語を覚えて前へ進むことができるものですが、文法には「理解」が求められます。自分の頭でしっかり理解しなければ時間をかけて取り組んでも永遠にできるようにはなりません。その子はこの理解を伴う分野にまったく手を付けていなかったために、成績が上がらなかったのです。単語の暗記は勉強を頑張っただけ報われる分野ですが、それだけでは英語は使えるようにはなりません。この子の場合は努力の量より、質を高めることが必要で、間違った方向にどれだけ時間というリソースを割り当てても成果が出ることはないのです。

これまでの英単語をゴリゴリ丸暗記するやり方をやめ、私はとにかく生きた英語をまるごと咀嚼することの重要性を伝え、その子には長文読解に挑戦してもらいました。最初の頃は一行理解するだけでも大変です。単語で躓き、文法で躓き、なかなか前へ進みません。しかし、言葉は本来「文脈を通じて意味を理解していく」というものです。文章を読み進めるという、人が言葉を覚えていく自然な環境を、英文読解でも作って理解を進めてもらったことで自然に英単語も頭に入り、また英文法も理解してもらうことができるようになっていきました。

一度、文章読解力がつき始めると英語を読んで理解できることが楽しくなっていき、どんどん読解レベルも向上していきます。最終的にその子は英語が大好きで、特に英文を読むリーディングが大得意になってもらうことができました。もちろん、英単語も英文法もきちんと頭に入っています。これは努力の方向性を変えたことで成果に結びついた一例です。

成果が出ないのは努力の方向性が間違っている時もあります。その部分を見ることなく、脊髄反射的に「努力不足!」と責めるだけというのはあまりにも表面的なコメントでしかありません。言われたほうが傷つくだけでなく、間違ったアドバイスを鵜呑みにしてしまうとムダな労力と時間を使うことになります。物事の成果が出ない時はまず、取り組んでいることへの適性や努力の方向性を冷静に見つめ直したいものです。

文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

【関連記事】
「お金くばりおじさん」を批判する「何もしないおじさん」
大人の発達障害検査をしに行った時の話
反原発国はオーストリアに続け?
SNSが「凶器」となった歴史:『炎上するバカさせるバカ』
強迫的に縁起をかついではいませんか?