フィデューシャリー・デューティーは、2014年9月に金融庁が公表した「金融モニタリング基本方針」のなかに初めて登場したものだが、今の金融界に、この言葉を知らぬものはない。さて、フィデューシャリー・デューティーとは、フィデューシャリーが負う義務であるが、そもそも、フィデューシャリーとは何か。

フィデューシャリーは儲からないのか
(画像=画像:123RF、『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

フィデューシャリーとは、他者との信認関係のなかで、一定の任務を遂行するものである。この信認関係は、信頼関係よりも高度なもので、日本の法律では、忠実義務を負う関係だが、忠実義務に替えて敢えてフィデューシャリー・デューティーというからには、それは忠実義務よりも広く、深く、かつ高度なものでなければならない。

ところで、他人に業務を委任するときは、範囲を特定し、他人に裁量を認めないのが普通だが、ときには、他人に広範囲な裁量を与え、事実上、身を任すような事態にならざるを得ない場合がある。典型的には、医師にかかるとき、弁護士に訴訟等の代理人を委任するとき、金融機関等に財産の管理運用を一任するときなどである。

このような特殊な委任を受けた医師、弁護士、金融機関等をフィデューシャリーといい、故に、フィデューシャリーは、他人の信認を得たものとして、専らに委任者、即ち、顧客のために働く義務を負う、煎じ詰めれば、これがフィデューシャリー・デューティーの中核である。そして、いうまでもなく、金融庁がフィデューシャリー・デューティーを持ち出した背景は、財産の管理運用を一任された金融機関の責務を明らかにするためである。

さて、専らに顧客のために働くフィデューシャリーは儲かるのか。この点に関し、代表的なフィデューシャリーである弁護士の世界でのみ有名というか、悪名高いものに、成仏理論がある。これは、なんと、「食べていけるかどうかを法律家が考えるというのが間違っている」という主張である。

実は、今の金融界を悩ませているのも、フィデューシャリーとして働くと、儲からないのではないかという疑念なのである。

文・森本紀行/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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