投資運用業にとって、信託は極めて重要な制度である。投資一任契約のためには、契約対象となる資産の確定を行なうことが不可欠の要件になるが、そのときに資産を入れる器として、信託が使われるからである。
より実態に即すれば、器が先にあって、投資運用業者は、器の管理に関して、投資判断にかかわる業務だけを受任するものとして、呼び込まれるわけである。つまり、顧客は信託を設定して、分離独立させられた資産の塊を作り、運用管理を外部の専門家に委任する、これが投資一任契約の基本構造なのである。
さて、信託は分離独立した資産の塊だから、それ自体として、一定の主体性をもつと考えられる。そして、信託という独立した資産の塊については、三つの異なる側面をもつ関係者を観念し得るわけである。第一に、もともとの資産の所有者で、それを信託という形に外部化し独立化させた人だが、これを委託者という。第二に、信託された資産の運用から生じる果実、および最終的には信託元本そのものについての権利を取得する人で、これを受益者という。そして第三に、信託財産の管理者が、これを受託者という。
最も単純な形態は、委託者と受益者が同一で、受託者が同時に資産運用の専門家を兼務して投資管理に当たる場合であるが、現実には、委託者と受益者が異なっていたり、受益者が多数いたり、受託者とは別に資産運用の専門家である投資運用業者が選任されていたりと、さまざまに異なる構造をもった信託が存在し得るわけである。
そもそも、資産を信託化しようということ自体に、それ固有の特別な事情があるのであって、信託する事情が異なれば、それに応じて信託の構造は異なり、信託の構造が異なれば、資産運用のあり方も異なってくるということである。このような個別性こそ信託の特色であって、それを信託の本旨というのである。
信託の本旨という言葉は、日本の「信託法」にある用語である。同法二十九条は、「受託者は、信託の本旨に従い、信託事務を処理しなければならない」というふうに受託者の義務を定めているわけである。同法には、「信託の目的」という用語もあるが、かつて信託法の権威であった四宮和夫は、信託の本旨について、「「信託ノ目的」を、信託のあるべき姿に照らして理想化したもの、換言すれば、委託者の意図すべきだった目的」と解説していたのである。
文・森本紀行/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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