日本の投資信託の現状を離れて、本来の投資信託のあるべき法律上の形態を考えてみよう。

投資家は運用すべき資金をもっていて、その運用手法として投資信託を採用するわけだが、このとき投資信託が備えていなければならない必須の要件とは何か。それは、いうまでもなく、投資家の資金が専らに投資家の利益のために運用されることである。

投資信託の関係当事者の連帯責任
(画像=画像:123RF、『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

このことを日本法では忠実義務というのだが、残念ながら、日本の現実では、それは単なる精神規定として形骸化している。その忠実義務を理念的に本来のあるべき姿に高めたものが英米法の概念であるフィデューシャリー・デューティーだ。

では、フィデューシャリー・デューティーのもとで、投資信託はどうあるべきか。

まず、投資家は、運用の委託者として、資金を信託し、信託の受益者になる。そして、信託の受託者に対してフィデューシャリー・デューティーが課される。受託者は制度の番人であって、資産運用や事務管理を行うものではない。そのような専門分野については、受託者は、専門家を指名して、業務を委任する。

採用された専門家は、受託者と連帯して、フィデューシャリー・デューティーを負う。連帯するからこそ、相互監視が働き、フィデューシャリー・デューティーに履行強制力が生まれるのである。連帯責任のほか、フィデューシャリー・デューティーに履行強制力を付与するために、一定の外形を備えた行為からフィデューシャリー・デューティー違反を推定できるような制度的工夫がなされる。

さて、投資信託が運用会社の事業として営まれている以上、運用会社の主導で、販売会社を使って資金を集めることにより、投資信託が作られるほかない。しかし、一旦、投資信託が成立すれば、それは信託として、信託受託者のフィデューシャリー・デューティーを中心とした法律関係のもとに、運用会社、販売会社、事務管理会社等の関係当事者が拘束される仕組みになる。

ここで決定的に重要なことは、フィデューシャリー・デューティー販売会社をも拘束するということである。

文・森本紀行/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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