普通に投資信託といわれているものは、法律上は委託者指図型投資信託である。ここで委託者というのは、投資信託を運用している投資運用業者のことだ。
なぜ、投資運用業者が委託者なのか。委託者というのは、資金をもっていて、その運用を投資運用業者に委託するもの、即ち投資家であるべきではないか。日本の投資信託は、海外の動向に照らしても、根本的な構造において、特異なもの、抜本的改正の余地の大きなものといわざるを得ない。
投資信託には、信託受託者の機能、資産を管理保全する機能、資産を運用する機能、通常は販売といわれる投資家の接点としての機能の4つの機能があり、それぞれの機能を担当するものによって責任が有機的に連結され、各機能を担うものが自己の責任を全うすることが必要である。
日本の投資信託においては、この機能の区分と各関係当事者への責任の配賦について、投資家の利益を守るという視点からみるとき、制度設計に不備があり、事実として、投資家の利益が損なわれる事態も起きているのだ。故に、金融庁はフィデューシャリー・デューティーの重要性をいうわけである。
フィデューシャリー・デューティーは、英米法の概念だから、法体系の異なる日本法のもとでの投資信託には、少なくとも直接的な法律上の意味では、適用のないものである。にもかかわらず、金融庁がフィデューシャリー・デューティーをいうからには、それは、現行制度の改革の方向性について、重要な指針としての役割を演じるものでなければならない。
フィデューシャリー・デューティーとは、投資信託の4つの機能うち、信託受託者の機能に関する責任、即ち、投資家の利益を守る番人としての責任であるといってよく、他の3つの機能に関する責任を括る最上位のものなのである。他の3つの機能に関する責任は、投資家の利益を守る番人としての責任、即ちフィデューシャリー・デューティーに連帯するのである。
いうまでもなく、投資信託は資産運用の器であって、投資信託の中核の機能は資産運用である。しかし、器が投資家の利益を守るための装置を具備しておらず、投資家の犠牲のもと、販売会社や運用会社の利益のために使われているのならば、社会的には何の意味もない。故にフィデューシャリー・デューティーの徹底が改革において決定的に重要なものになるのである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
文・森本紀行/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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