資産形成は、絶対的な必要性ではなくて、より豊かな、より良い、より楽しい生活のためのものである。老後生活のための資産形成も、超高齢化社会のなかで、公的年金の機能が最低生活保障へと相対的に後退せざるを得ないことを前提にしたうえで、豊かな老後生活を維持するための自助努力として、政策的に位置付けられているものである。
資産形成では、投資のリスクをとらざるを得ないが、そもそも、リスクをとれるということは、資産形成の目標金額と実績金額との間に多少の差があっても、深刻な問題にならない前提である。つまり、変動のリスクが許容されるのは、生活の豊かさの程度についてだけなのである。
数年以内に、少し豪華な旅行をしてみたいと思って、その目標のために資産形成を始めるとして、その運用内容を自分の頭で考えて、多少のリスクをとることは、面白く楽しいことである。うまくいけば、より豪華な旅行ができるという不確実性を生活の喜びのなかにとり込むことこそ、資産形成におけるリスクをとることの本来の意味である。
投資の成功というのは、必ずしも投資成果が高いということではない。むしろ、自分の意図したことと実際の結果との差について、納得できることが成功の意味である。小さな体験を繰り返すなかで、当然に、意図と結果の差を縮めようとする努力がなされ、それが学習意欲につながる。そして、学習が継続できるのは、そこに喜びや楽しみがあるからに違いないのである。
体験を通じて学習するうちに、資産形成の目的に対する愛着から、資産形成そのものに対する愛着へと変わっていくであろう。そして、資産形成に対する愛着が生じれば、形成された資産の使途についても、逆作用していくはずである。つまり、自分の努力で形成された資産への愛着、自分の努力への愛着が生じることで、予定された使途に全額を使うことがなくなり、結果的に、長期的に留保されていく余剰が生じる。その剰余が蓄積されていくことにより、本来の資産形成の目的として、老後の豊かな生活が認識されてくるのであろう。
加えて、投資の経験を積むなかで、年齢も高くなっていって、老後が具体的にイメージしやすくなる、しかも、子供の独立等により、資産形成へ大きな金額を振り向けることのできる家計の余裕も生じている、そういうふうに、客観条件が揃ってはじめて、老後生活資金形成が現実感のある生活の課題になってくるのだ。
文・森本紀行(HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長)/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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