プロフェッショナルとは、サービスの結果を保証しえないが故に、専門的知見を有するものとして、自己の能力の全てを投じ、常に自己研鑽に励み、専らに顧客のために働くことをもって、サービスの質を保証するものである。その代表は弁護士、会計士、医師などであるが、資産運用に携わるものも、結果を保証し得ない以上、プロフェッショナルでなければならない。

資産運用に携わる君よ、賭けているか
(画像=『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

医療行為においては、いかなる治療方法の選択も、程度の差こそあれ、患者の生命にかかわる不確実な危険を内包している。弁護士の訴訟戦術の選択にも、資産運用に携わるものの投資判断にも、結果の帰趨を左右する危険をともなう。要は、プロフェッショナルの判断は賭けなのである。

プロフェッショナルも組織を作る。普通の組織の意思決定のあり方では、小さな賭け、即ち小さな不確実性のもとでの決定は下部へ移譲され、逆に、大きな賭け、即ち大きな不確実性のもとでの決断といえるような賭けは最上部にとどめられる。つまり賭けの最終的な責任は経営者が負うのである。

プロフェッショナルの組織においては、組織の上層へ賭けの責任が転嫁されることはない。医療、訴訟、投資において、結果責任は、病院、法律事務所、投資運用業者の組織の上層へ吸収されることなく、どこまでもプロフェッショナル個人に帰属するのである。

日本の投資運用業者の根本的な欠陥は、組織的意思決定という幻想のもとで、プロフェッショナル個人の賭けが排除され、合議という迷妄のもとで、誰がやっても同様な結論に達する常識的な推論によって運用がなされるので、個性がなく、付加価値も生み得ていないことである。

本来の資産運用において、組織として行われるべきことは、不確実性への賭けではなくて、賭けの諸制約の設定にすぎない。投資対象として、ある株式の銘柄を選択することは、それを担当しているプロフェッショナル個人の専管事項であって、組織としては、その選択を了承することはあり得ても、その銘柄を選定することなど、できるはずもないのである。銘柄選択は、あくまでも個人の決定であり、個人の賭けでしかない。

プロフェッショナル個人の責任で賭けない限り、人は育たないし、成果も生まない。資産運用に携わる君よ、賭けているか。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

文・森本 紀行/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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