個人が資産形成の必要性を認識すること、いいかえれば資産形成が生活の一部になるとは、どういうことか。
典型的には、資産所得で暮らす富裕層の生活様式がある。つまり、資産からあがってくる利息や配当金等の運用収益で、現在の生活資金を稼得することである。ここでは、資産管理と生活が合体しているから、自分の生活としての資産管理において、主体的な関与があるのは当然である。しかし、このような富裕層には、資産形成という用語はなじまない。既に形成されてある資産の運用管理だからである。
富裕層に似たものに、高齢者貯蓄がある。資産形成に絡めて、個人の金融資産が預貯金等に偏在することが問題視されるが、実際は、その多くは高齢者貯蓄なのであって、既に形成された資産なのである。しかも、現在の公的年金や企業年金等の給付水準のもとで生活原資が確保されているなかでは、これらの高齢者貯蓄は明確な使命をもたない。故に、預貯金等の形態で保有されることには、十分な合理性があるのである。
むしろ、投資教育の欺瞞的な美名のもとで、こうした高齢者に、おかしげな投資信託等を押し付けることは、ほぼ詐欺的行為であり、社会的に、厳しく批判されるべきである。高齢者貯蓄については、そもそも、資産形成ではなくて、形成済み資産であり、明確な使途もない以上、欺瞞的営業から保護してあげることが必要である。
実は、資産形成とは、政府にとって、第一義的に、勤労層の老後生活原資の形成なのである。つまり、超高齢化のもと、老後生活における公的保障を相対的に削減せざるを得ないという見通しのもとで、政府としては、減少分の補完を個人の自助努力に求めるほかないという事情があるのである。いうまでもなく、これが有名な老後2000万円報告書の背景である、「つみたてNISA」の前提である。
さて、老後生活資金の形成においては、購買力の保存が課題なのである。購買力の保存という機能では、デフレ経済においては、預貯金が資産形成の最適な手段となる。まさに、個人金融資産が預貯金と保険に偏在することは、国民が賢く合理的であることを示すものであって、決して、投資に関する知識の不足を示すものではない。
問題は政策がデフレ脱却を掲げていることである。デフレからインフレに移行する過程において、貯蓄構造にも変化があるべきである、そこに資産形成の本質があるのである。
文・森本紀行/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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