世間で脱マスクが浸透しない理由を、子を持つ母親の立場から考えてみる。

2020年、武漢から発生したとされる新型コロナが全世界に猛威を振るうと、数ヶ月後には、住所不定無職の人間までもがマスクを定着させる世界となった。世間は未知のウイルスに慄き、世界中で日夜感染者数を報道し、人々はいつ自分が感染するのか、感染した場合に生存を許されるのか、家族や周囲に絶対に感染させてはならないと感染に怯えながら、いつか終焉を迎えるはずのコロナ騒動を見守った。

マスクを推奨され始めた当時、恐らく日本国民は数ヶ月我慢すればマスク生活とは決別できると考えていただろう。しかし、人々の想定の範疇を大きく超えマスク生活は遂に3年目に突入した。

世界では、2月にデンマークの感染症対策の撤廃が取り上げられ、それから各国が続々と感染症対策の全廃を表面。感染症対策の無意味さをメディアでも論じ、withコロナを選択し、コロナパスさえ不要とした。

お隣の韓国も、感染者の増加に臆せず撤廃。同じアジア圏であり、未だ冷めない韓国ブーム熱を盛り立てる日本は追従しても良さそうなものであるが、マスクに於いては完全に別物とされ、日本人は頑なにマスクを外さない。

脱マスクの鍵は母親達が握っている --- 佐藤 明日香
(画像=recep-bg/iStock、『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

何故このような事態に陥ったのか。私は幼児と低学年の二児を抱える主婦だが、マスク生活が半年を迎える頃、周囲の感染状況や被害を見極め、単独行動の際などは脱マスク生活を始めた。

当時は常時着用が望ましいとされ、屋外であろうと密で無かろうと不着用は非国民扱いされそうな空気感が漂い、脱マスクには途轍もない勇気が必要だった。睨まれるのは日常茶飯事で、時々買い物の際など着用を求められた。テーマパークでは利用できない、基礎疾患があっても例外はないとまで言われた。近所のスーパーに行くにも勇気を奮い起こす必要があり、著しく生き難い世界に変化したと絶望感を味わった。

それでも私は諦めなかった。息苦しい、長時間の着用で口内炎が大量に出来てしまい煩わしいという理由もあったが、健康な自分が一日中着用を課される非科学に対するストレスが大きかった。

さらに決意を固くさせる出来事が起きる。我が子がマスクの長時間着用により、皮膚炎を起こし炎症部位がただれたのだが、それを理由に学校側に着用免除を取りつけた後にイジメが起きた。長子は自由尊重をモットーにしている私立に就学したが、「新型コロナは恐ろしい感染症でマスクは予防の為に必須」と教え込まれた生徒達に自由を尊重する余裕は残されていなかった。

それから一年、学校側との連携により、理解を示し始めた生徒達は気にせずつき合ってくれるようになったが、未だ子を嫌悪する生徒は一定多数存在する。電車通学でのトラブルもまた子にとって大きなストレスである。電車では99%の着用率で、子は稀有な存在だ。

私が脱マスクを貫く最大の理由は子供の為である。子供は未着用を容認される傾向にあるが、マスク着用不可バッヂをつけてなお世間の目は冷たい。大人が率先して外さなければ大人の言いつけに素直な子供達が外せるわけがなく、子供に指導するならばそれを躾ける大人も外せないわけで、つまりは社会全体で脱マスクの動きには傾かない。だからこそ私は強固な意志で脱マスクを続けてきた。

その間、周囲はどうだったか。幼稚園など施設では着用していたからだろうか、私が公園などで着けずとも咎める人間はおらず、幸い子が仲間外れにされたり、園外の遊びに誘われなくなったりなどの事態は避けられた。個々の主義を尊重する良い人間関係に恵まれていたようだ。今では私に追従して屋外では外す人間も現れた。

だが、世間体が第一、つまり子供が仲間外れにならないよう振る舞う母親達の間で脱マスクは一向に広まらない。昨今は気温上昇に伴い保護者間でも熱中症を心配する声は上がるが、幼稚園や学校側と相談しようと積極的に動く母親は現れない。皆一様に目立たない、事を荒立てない、世間体を守ろうとする心理が強く働く。

声の大きい男性に凄まれるのも一因である。子の為に良識人であることを望まれる母親達はマスク警察の恰好の餌食だ。街中を見渡しても年齢層を問わず圧倒的に女性の着用率が高い。パートナーが外していても女性は着用するケースが多く見られる。私もかつて夫が外している時のみ着用していた時期もあった。これは「私達はマトモです。夫は今だけ外していますがいつでも外しているわけではないですよ」という世間に対する謎の表明であった。

女性は共感の生き物とよく言われるが、男性に比べて女性は周囲の感情を具にキャッチする。たとえそれが誤認でも、多くの女性が重要視するのは世間の多数派の認識である。つまりニュースでマスクが必須と言われればそれを共通認識として判断するし、ノーマスクを非常識と嘯くならば非常識と見るのだ。

では何故メディアが声高に脱マスクを唱える今も頑なに、女性とりわけ母親達は外さないのか。単に教育現場での圧力が止まないからである。教育現場では今日もマスクの常時着用を推奨しているが、それには濃厚接触者の定義問題があり、現状マスク一枚で休校の措置を避けられる、とあれば積極的に外しましょうとは謳えない。着用を強く望む保護者の存在も大きいだろう。

万一クラスターが発生した場合に、感染症対策を徹底せず休校を招いた教育現場は責任を問われる。風邪などは本来、免疫力の落ちた人間が症状を発生させるもので、感染を拡大させたのは学校ではない。感染——陽性ではない——したのであれば、免疫力を強化できなかった親の責任である(基礎疾患の有無によるケースは割愛する)。

それがコロナ禍では、発生現場の人間への責任追及が主体とされ、その為に長期間休校措置を講じる学校まで現れる始末だ。文科省や教育庁からの通達も肝である。義務と認識しかねない文言で現場はお上の達しと判断し各家庭に促す。学校側は責任回避に利用する。世界で新型コロナが風邪扱いになろうと、お上から脱マスクの通達無しに現場は家庭に指示できない。

これらは新生活と呼ばれる世界のルールであり、最早脅威とは呼べない感染症の対策ではない。マスク着用が正しい人間の在り方との認識なのだ。前述したように子供達へ強制する以上、保護者は安易に外せない。学校側に反発して不着用を貫く保護者もいるが、世間の風当たりは強く彼らは日々葛藤している。この同調圧力こそが社会の縮図で、脱マスクの最たる妨げなのだ。

夏に向け真に恐れるのは熱中症だが、母親達が子の命を本気で守ろうと動かなければ恐らくは今夏もマスク生活は継続されるだろう。教育関連省庁も民衆を無視しているのではない。民衆が従順に世間体を尊重した結果、民衆が望むのはマスク社会と判断し強行している。

一部では省庁に子供の脱マスクを働きかける保護者等がいるが、圧倒的に数が足りない。国中の親達が声をあげれば省庁も動かざるを得ないだろう。同調圧力は国にも効果的だ。

私は子を持つ母親達が鍵だと思っている。その為にもメディアもマスクの有害性有益性を真剣に検証し、母親達を安心させる必要がある。子の幸福を心底望む母親達は脱マスクに向け今こそ立ち上がるべき時だ。



佐藤 明日香
2児の母。育児に奮闘しつつ、夫と立ち上げた会社を経営。



編集部より:この記事は投稿募集のテーマで寄せられた記事です。アゴラではさまざまな立場の皆さまからのご意見を募集します。原稿は、アゴラ編集部にお送りください。

文・一般投稿/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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