■周辺の戦国大名たちと対等に渡り合った村上海賊

穏やかなイメージの瀬戸内の海だが、多くの島々が点在し海底地形も複雑なことから、激しい潮流の箇所がいくつも存在する。難所では船の航行にも影響を及ぼし、水先案内人がいないと転覆する恐れもあった。
14世紀中頃からそんな瀬戸内海を支配していたのが、村上水軍とも呼ばれる村上海賊である。ちなみに“水軍”は江戸時代以降の呼称で、当時の古文書では“海賊”と呼ぶことが多い。しかし村上海賊はいわゆる金品を強奪する無法者ではない。


村上海賊は能島、来島、因島の各島に本拠地を置いた三家から成り、三島村上氏との総称もある。いずれも芸予の海を知り尽くしていたことから、戦国時代には瀬戸内海の広範囲を掌握し、大きな力を発揮した。
なかでも大島の東に浮かぶ能島に居城を構えた能島村上氏は、三家の中で最も独立性が高く、毛利氏や大友氏、三好氏ら周辺の戦国大名たちとも対等の姿勢を貫いた。宣教師ルイス・フロイスも、能島村上氏を“日本最大の海賊”と記している。
能島を望む大島・宮窪町にある「今治市村上海賊ミュージアム」では、海賊たちの活躍を、古文書や復元品などで詳細に紹介。村上武吉・景親が着用したとされる陣羽織など、戦国時代の伝来品は必見だ。



・伊予大島八十八ヵ所

大島には、文化4年(1807)に開創された“島四国八十八ヶ所”が点在している。本家の四国八十八ヶ所になぞらえ、毛利家血筋の毛利玄得という医者が開いた。直後から紆余曲折の歴史をたどりながらも、今も人々の信仰を集めている。
TEL / 0897-86-2109(伊予大島准四国霊場会事務所)
愛媛県今治市吉海町・宮窪町
しまなみ海道「大島南IC」より各霊場へ
文・岩谷雪美/提供元・男の隠れ家デジタル
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