東京など18都道府県に適用されていた「まん延防止等重点措置」が解除された。全国のどの地域にも適用されていないのは2カ月半ぶりだという。
ただし、少しでも増えるとまたなにかしらを発令するのか、そもそも厚労相のいう「基本的な感染防止策徹底を」がどれくらいの程度の徹底なのか、多くの人は疑心暗鬼だろう。
その中で、学校現場ではとくに対応を変えろという通達は、少なくとも私の自治体や知っている自治体では聞かない。
文科省は「今後は濃厚接触者の特定や一律の行動制限は必ずしも行う必要はない」と述べている。
「必ずしも」というところに、しっかりと逃げを打っている。これでは決定することを忌み嫌う教委や管理職は現状維持になるところがほとんどだろう。
今まさに卒業式シーズンだが、私の自治体では歌も呼びかけもない。けれども、首長の代理の教育委員会の課長のスピーチはある。保護者は各家庭1名ずつ。
式でも日常でも、マスクはつけたままだ。給食のときにつかうプラスチックのついたてはろくな衛生状態ではない。学級閉鎖、教員の出勤停止も常態化した。
子供たちはこの2年以上マスクをつけ続けている。それがどのような影響を及ぼすのだろうか。
NHKに指摘されるまでもなく、マスクを付け続けることが発達にとってよいことでないなどと、ふつうに考えればわかるだろう。呼吸器系の問題や、表情の理解の問題、マスク自体の衛生の問題、年ごろの子供が恥ずかしくて逆に外せなくなる問題などいくらでも思いつく。(エビデンスがないと退けるお医者さんがいたが。)
けれども、マスクを外すという出口戦略は誰も考えていない。日銀の金融緩和と同じだ。少なくとも決定権をもっている人間たちは考えたくもないのだろう。決定することがスマートではないと考えられている社会だ。
子供たちの感染症による健康被害は小さかったはずである。首長の気まぐれにつき合わされ、学校は機能不全になった。政府も2歳児にマスクをつけさせようとした。
そして、現場に判断を丸投げしたことによって、学校はマスクによって分断されている。マスク着用派の保護者とノーマスク派の保護者の板挟みになっている教員が気の毒だ。
4月から変わるのだろうか。そんな兆しは見えない。
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これだけ次世代を虐げれば、社会を変えられると考える若者は減るだろう。
あるシンクタンクの調査によると、
「自分を大人」、「責任ある社会の一員」と考える日本の若者は約30~40%と他国の3分の1から半数近くにとどまり、「将来の夢を持っている」、「国に解決したい社会課題がある」との回答も他国に比べ30%近く低い数字となっています。さらに「自分で国や社会を変えられると思う」人は5人に1人、残る8カ国で最も低い韓国の半数以下にとどまり、国の将来像に関しても「良くなる」という答えはトップの中国(96.2%)の10分の1。
とのことだ。
若者たちは少子高齢化社会に完全に適応してしまった。
その中には腹の底では適応しまいと考えている子供もいるかもしれないが、繰り返される日々の言動は思考を歪めてしまう。学校問題の本質は実は学力問題ではないのだ。
※これからは、われわれ年長者も棄民となる可能性がある。介護保険料払えず資産を差し押さえられる高齢者が毎年2万人もいるのだ。そうなったとき、自分は社会に何を残せたのかと愕然とするのだろう。
文・中沢 良平/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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