欧米などで既に脱マスクとなる一方、日本では屋外でも殆どの人がマスクを着用する状況となった。

1年半以上前に私はこのことを予測し、「マスクは令和の“ちょんまげ”、“お歯黒”になるか」をアゴラに寄稿した。

令和の一種の風習?と化してしまったマスク着用の状況を打開するためには、過去におけるクールビズのキャンペーンが参考となる。

クールビズは、昭和の多くのサラリーマンが夏季の猛暑でも、ネクタイ、上着を着用し冷房のない満員電車で通勤していたという、今考えるととても異常な状況を打破し、夏季における軽装を定着させたキャンペーンだ。

現在、屋外ですら多くの人がマスクを着用していることは、昭和のサラリーマンが猛暑でもネクタイに上着を着用していた状況に似ている。多くの人が指摘するように、これは同調圧力だ。周りと異なる態様を避けることにより、自らに注目を集めないようにする行動様式だ。

電車内などでマスク着用の様子を注意深く観察すると、ウレタンや通気性の高いスポーツマスクを使っている人や、不織布ではあるが鼻が出ていたり、口の周りが隙間だらけの人が半数近くいる。感染予防意識があればこのような状況でないはずであることから、少なくとも半数近くの人は、体面上の理由や、コンビニなどに入店するため、あるいは保健所から濃厚接触者とされ会社に迷惑をかけないための着用だと考えられる。

不思議なことにこの同調圧力にはジェネレーションギャップがほぼないのか、老若男女、各世代で、マスク着用の状況に差がないように思う。

これは恐らく、今昔を問わず、学校生活において、周りと異なる態様を極力避けることにより、自らに注目を集めないようにすることを強く学習したからではないだろうか。多くの人がブラック(あるいはグレーな)校則に、合理的に対処してきたのだ。

1年近く前、都の要請に従わなかった飲食店が、特措法による時短命令を発せられ、訴訟となった。この店側の弁護士は、当時、要請に従わない飲食店が多数ある中この店が命令の対象となったのはみせしめによるものだと主張している。

ブラック校則のもとでは、悪目立ちする生徒が、先生からしっかりと検査され違反を指摘される状況があるが、この弁護士はこうした状況と同一視しているのではないだろうか。

このように、日本の学校生活においては、今昔を問わず、自らに注目を集めると不利益を被ることを多くの人が身をもって学んだのだ。

さて、クールビズだが、これは2005年、環境省主導で命名され始まった運動だ。

お役所主導であることから、導入当初は、1980年代の大平総理、羽田総理の省エネルック、サファリルックのようにとん挫するかと思えた。

しかしながら、当時の小泉総理、小池百合子環境大臣の強力なアピール力のほか、3年間で80億円以上とされる広報予算を投じたことにより、大きな成果を上げ、今では夏場にネクタイ・上着のサラリーマンを見かけることは少ない。

この結果、2005年の新語・流行語で上位入賞し、小池百合子環境大臣(当時)が表彰されている。

脱マスク運動が、省エネルック、サファリルックのようにとん挫せず、クールビズのように成果をあげるため、小泉元総理や小池百合子氏の手腕を期待したい。

文・中村 哲也(団体職員(建設分野))/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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