アウトプット訓練は大学で増やすべき

個人的には、プレゼンやディスカッションなどのアウトプット訓練は、小学校ではなくむしろ大学でもっと増やすべきだという持論を持っている。

「海外の大学では発表の機会が多い~」という触れ込みをよく見るが、実際これは正しい。米国の大学では、どの授業でも宿題として膨大なリーディングの課題が出される。それをクラス外の時間に大量に知識をインプットした上で、講義の時間にプレゼンやディスカッションをさせる。インプットをしっかりした上で、自分の意見を発信するアウトプット訓練を行うので非常に有意義だ。

しかし、日本の大学の多くは講義スタイルが義務教育の延長のようになっているところが多いのではないだろうか。教師が一方通行で学生に知識を与えるスタイルは未だにある。学生は高い学費を払っている。メスをいれるべきはここの部分だろう。

また、アウトプットの必要性が生まれるのは多くの人にとって義務教育時期ではなく、むしろ社会に出てからである。就活、会議、資料作成、人事評価面接など、あらゆる場面において自分の意見を発信する必要がある。真に思考力が問われるのは社会人からである。かなり先になる出番のために、吸収力の高い小学生の時期に知識量を犠牲にするべきではないだろう。

誤解のないようにしたいのは、アウトプット訓練そのものがダメだと言っているわけではない。多感な子供にとって、みんなの前で発表する訓練はとても強い刺激になるだろうし、こうした経験は場数が重要なのでメリットもある。少しは出番を増やすのはメリットは大きいと思っている。だが、問題はその分量だ。アウトプット訓練を多くしたことで、従来の知識を犠牲してメリットが上回るか?問題の鍵はこの点にあるだろう。

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「知識型→思考型の学校教育」は失敗すると思う
(画像=『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

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文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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