歴史で学ぶ量子力学【4】「量子力学を理解しているものは、一人もいないと言ってよい」【最終章】
(画像=Credit:depositphotos、『ナゾロジー』より引用)

ニュートン以来、長きに渡って物理学が描いてきたのは、因果律に支配された決定論的な宇宙でした。

「現在が正確にわかっていれば、未来を予測できる」という、いわゆるラプラスの悪魔は、こうした古典物理学の常識を究極的に突き詰めていった場合に導かれる結論です。

しかし、ハイゼンベルクの不確定性原理は、こうした考え方にトドメを刺しました。

そしてそこから、ボーアは「物事は観測によって決定される」(逆に言えば、観測するまで物事は決まっていない)というコペンハーゲン解釈を発表しました。

「未来は決まっていない。あるのは可能性だけだ」というのは、少年漫画のオチみたいで素敵ですが、決定論と因果律を尊ぶ物理学者たちには受け入れがたいものでした。

特にアインシュタインは確率などに頼らず、明確に電子の状態を決定できる隠されたパラメータが存在するはずだと考えました。

例えばAとBの2つの箱があり、片方にだけボールが入っているとします。このときAの箱の中は、蓋を開けようと開けまいと、ボールが「ある」か「ない」かの2つに1つです。

それに対して明言を避けて「Aの中にボールがある確率は50%だ」と言われたら、単にわかんないから確率で誤魔化してるだけじゃないかと言いたくなりますよね。

アインシュタインが指摘したいのはそういうことでした。彼にとって確率に頼るというのは、わからないから白旗をあげていることに等しかったのです。

そして、こうした量子力学の不完全性を暴くべく、アインシュタインは次から次へと思考実験を考案してボーアに戦いを挑みました。

現在私たちがよく知る量子力学の解説の多くは、実はアインシュタインたちが量子力学を否定するために生みだした思考実験が元ネタです。

ここからは、馴染みのある量子力学の話しが数多く登場します。

目次
ボーアを悩ませたEPRパラドックス
納得いかないシュレーディンガー博士

ボーアを悩ませたEPRパラドックス

第二次大戦の影響で米国プリンストン高等研究所に移ったアインシュタインは、そこでも量子論の矛盾を指摘するための方法について考えます。

しかしプリンストンの研究所には、生まれたときから量子論を聞いて育った若手物理学者が多く、いつまでも量子論に理解を示さないアインシュタインは、頭のおかしい”老害”だと思われていました。

そんな中で、アインシュタインに賛同して研究に手を貸してくれる研究者が現れました。それがポドルスキーとローゼンでした。

歴史で学ぶ量子力学【4】「量子力学を理解しているものは、一人もいないと言ってよい」【最終章】
(画像=アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼン。EPR論文を発表した当時ポドルスキーとローゼンはまだ20代と30代の若手だった。/Credit:graptechpedia、『ナゾロジー』より引用)

3人は共同でコペンハーゲン解釈に疑問を投げかける論文を完成させ、それは3人の頭文字を取ってEPR論文と呼ばれました。この論文は、アメリカの物理学専門誌『フィジカル・レビュー』に掲載され、大きな話題を呼びます。

EPR論文が言っていることの要点は次のようなものでした。

【ある粒子(電子)AとBが一瞬だけ相互作用してお互い反対の方向へと飛び去ったとしましょう。このときAとBの性質は相関を持っています。

Aの粒子の性質――例えば位置、または運動量――を測定すれば、反対方向に同じ距離を進んでいるはずのBの位置(または運動量)を知ることができるはずです。

この方法なら、Bに一切なんの観測をしなくても(運動をかき乱すことなく)、実在の運動量か位置を知ることができるのです。】

これは「観測することで粒子は現実の値を初めて得る」と主張するコペンハーゲン解釈と矛盾する問題で、EPRパラドックスと言われています。

これに対してボーアは、2つの粒子は初めに相互作用して、1つの系になっているのだから、Aを観測することでその影響がBにも伝わり、Bの運動量や位置を予測することが可能になるのだと反論しました。

しかし、Aを観測しただけで、何もしていない離れたBに力学的な影響が及ぶはずありません。しかもこの影響は、理論上2つの粒子が数光年という距離を隔てている場合でも、瞬時に伝わることになります。

このためボーアの言うこの謎の影響を、アインシュタインは「不気味な相互作用」だと言って揶揄しました。

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(画像=2粒子のイメージ。実際は原子よりもっと小さい世界の話。/Credit:technotification、『ナゾロジー』より引用)

結局ボーアはEPR論文に対して、非常にあいまいで難解な解答しかできませんでした。

多くの物理学者が、アインシュタインは量子力学に対して再考を迫る決定的な一撃を与えたと感じました。

が、発表当初は盛り上がったものの、量子力学は実験と一致していて、ボーアの解釈で使っていてもなんの問題も生じないため、結局はやっぱりアインシュタインがどこか間違ってるんじゃないか、という雰囲気に落ち着いていってしまいました。

納得いかないシュレーディンガー博士

EPR論文の発表に大喜びしたのはシュレーディンガー博士でした。

彼はEPR論文を褒める手紙をアインシュタインに書いたのですが、その中で相互作用した2粒子を表現するために世界で初めて「エンタングルメント(量子もつれ)」という表現を使います。(厳密にはこのとき書いたのは英語ではなく、後に英訳されてエンタングルメントになります)

「量子もつれ」は現代の量子力学研究の最重要事項と言って良いものですが、この用語の誕生に関わったのもシュレーディンガーでした。

ここまで量子力学に貢献していながら、シュレーディンガーは自分の方程式に対するボーアたちの解釈にまったく納得していませんでした。

アインシュタインはこのシュレーディンガーの手紙に返事を書き、その中で確実なことに対して確率しか示さない量子力学の愚痴を言いました。

翌年中に爆発する不安定な火薬樽があったとして、それが一年後、爆発した状態と爆発していない状態の中間だなんて、まともな記述じゃないでしょう。そんな状態の樽は現実に存在していないのだから。

シュレーディンガーは、この量子力学の奇妙な振る舞いをマクロな世界に置き換えた例え話が気に入り、これをきちんとした思考実験に変えて、翌年にコペンハーゲン解釈に疑問を呈する論文を発表しました。

この論文の中で語られるのが、みんな大好き「シュレーディンガーの猫」という思考実験です。それは次のような内容のものです。

【1匹の猫が鋼鉄の箱の中に悪魔的な装置と共に入れられています。その装置はガイガー計数管の中に非常に少量の放射性物質を入れたもので、これが1時間後に原子崩壊する可能性は50%です。ガイガー計が放射線を感知するとハンマーが稼働して青酸ガスの入った瓶を叩き割り猫は死にます。

原子崩壊は極めて量子的な現象で、それは観測するまで確率でしか状態を知ることが出来ません。量子力学では、1時間後の原子は崩壊した状態と崩壊していない状態が50%で混合した状態と記述されます。

この場合、原子の崩壊に生死の運命を握られている箱の中の猫も、観測されるまで生きている状態と、死んでいる状態が重なり合った不可思議な状態にあるということになります。】

歴史で学ぶ量子力学【4】「量子力学を理解しているものは、一人もいないと言ってよい」【最終章】
(画像=シュレーディンガーの猫のイメージ図。/Credit:Wikipedia,Dhatfield、『ナゾロジー』より引用)

この思考実験でシュレーディンガーのやりたかったことは、コペンハーゲン解釈がいかに馬鹿馬鹿しい主張をしているかを示すことでした。

しかし、現代の多くの人たちが、これはコペンハーゲン解釈の意味を説明するための例え話として引用している通り、またもシュレーディンガーの仕事は彼の思惑とは逆の成果を生んでしまったようです。

私たちの感覚からすると、これだけ広く受け入れられているのだから、自分の思惑と世間の解釈が異なろうと、もういいじゃないか、と思ってしまいます。

なのに、シュレーディンガー博士は、「私の波動方程式がこんな風に使われるのなら、論文などにしなければよかった」とまで言って嘆いたそうです。

物理学者でない私たちには、自分と異なる解釈で自分の理論が使われてしまうシュレーディンガーの悔しさは、なかなか想像が難しい問題です。

しかし、例えばシュレーディンガーが物理学者ではなく、現代の漫画家だったと考えてみましょう。

漫画家シュレーディンガーは、あるとき非常に素晴らしい友情物語を描きました。しかし、それはなぜかネットで上質なBL漫画として広まってしまいうのです。そして彼の名は、後世に偉大なBL作家として伝わるのです。

この場合、作家は「名が売れたんだし、まあいっか」となるでしょうか?

自分と異なる解釈で波動方程式を使われたシュレーディンガーの悔しさは、これと同じものだったのではないでしょうか? ……違いますか、そうですか。

ともかく偉大な量子力学の成功者でありながら、ちょっと不憫な研究者、それがシュレーディンガー博士なのでした。