軽くなった為政者の言葉

当然ではあるが、国際政治は綺麗ごとでは通用しない。国内社会とは違い、国際社会は世界政府によって暴力的手段が独占されていない無政府状態である以上、国家は国益のために自助努力を続ける必要がある。その中で、一見すると矛盾する行為に従事する可能性も出てくる。

だが、それを考慮してもルワンダ虐殺の際と比べて、ジェノサイドという言葉の重みが軽く感じる現実はいかがなものなのか。西側諸国はジェノサイドが存在する事実を認定することで人助けをしているという実感を得ていると勘違いしているのではないか。

バイデン大統領のロシアのレジーム・チェンジを匂わせる発言といい、政治指導者が発する言葉がどうしても軽く感じてしまう今日の国際政治である。

文・鎌田 慈央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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