歳をとると、世の中は自分が考えているよりはるかに先に進んでいるなと感じることが多くなる。

4月にして初任者が来なくなったのだ。

期待の新卒教員が新年度一週間で来なくなった話
(画像=TAGSTOCK1/iStock、『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

しかも、地元国立大学卒で体育会系出身である。

東京のような大都会はちがうかもしれないが、地方都市だとまだまだ国立大学のプレゼンスは大きい。しかも体育会系出身者だったので、校長からしてみたらずいぶんよい初任者(公務員の新規採用一年目のこと)を引き当てたと思っただろう。

最近は初任者が多く、校長たちはなんとかして中堅どころの教員を取ろうとして、初任者を押し付け合っている面もあるくらいだからだ。

今までの経験からすると、4月くらいは子供も様子見で大人しく、ゴールデンウィークを明けてまた心機一転しばらくはもって、6月くらいに学級が崩れて、そこで担任が根を上げるのが相場である。

それが数日で来なくなってしまったことに時代を感じたものである。

そういう私自身、昨年度からの療養休暇の代替要員であるが、正規教諭は予定通り3か月後に戻ってこれるのだろうか。また、周りを見渡すと、他校からの転入者や臨時任用をいきなり高学年に複数名投入するなど、かなり無理のある布陣で臨んでいる。

たしかに、あっという間に来なくなってしまうほうも来なくなってしまう方だが、受け入れる側に準備ができていない切羽詰まった面が大きい。

今の若い先生たちの多くは、仕事上そんなに密なコミュニケーションは望んでいないのだが、逆に子供や親御さんとのコミュニケーションの質を高めないと今の学級は成り立たない。学級運営の難易度は昔より上がっているのだ。

つまるところ、困難な学級だけでなく、ふつうの学級も回せなくなってきているように見えるのだ。

ようするに人材難なのだが、そもそも人材を育てるという発想がない業界なので、頭数は揃っても、慢性的に人材不足なのである。(自治体によっては頭数も揃えられないのは周知のとおりである)

たしかに、同業他社がいないので、人材は育てる必要はなかった。けれども、それゆえに、どんな能力が必要で、それをどうやって伸ばすかという研鑽は、個々人任せであった。それゆえに学校運営自体に支障が出るほどひずみが大きくなってしまった。

研修と呼ばれるものはあるが、指導案を書いて授業をするというあまり日々の学級運営には役に立たないものである。また、初任者の研修も座学かブレストごっこみたいな活動ばかりで翌日から応用できるものはほぼない。

これで学級を回せるはずがないのだ。うまい教員は初任のときからうまいし、うまくない教員は50代になってもうまくならないままである。

校長は何人退職しようが療養休暇に入ろうが、ペナルティはない。まともな民間企業なら、自分の部署の人間が何人もいなくなれば、管理職はそれなりの処遇になるであろう。ひとり採用するにもそれなりの経費はかかっているのだから。

十数年前に校長に権限を集中させたまではよかったが、そこに責任が伴っていなかったので、学校は空中分解してしまったように見える。

さいきんは老眼もかなり進んだので、私の見まちがいならいいのだが。

文・中沢 良平/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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