第3章 排出量をめぐる説明と推定

まず最初に、地球全体の炭素循環を概観する。ただし残念ながら、IPCC報告書にも載っている地球全体の炭素収支の全体像は示されず、断片的な情報が記載されているだけである。

例えば、大気中の炭素は約850 Gt-Cあり、地表近くにある炭素の約25%に相当するが、海洋中の炭素総量の約2%に過ぎない、など。また、化石燃料の利用によってサイクルに加わる炭素量は、毎年のフローの4.5%で、その約半分が地表に取り込まれ、残りは大気中に留まってCO2濃度を高める、との記載があるが、これはIPCCの見解に沿ったものである。

また本書では、過去150年間の大気中CO2濃度上昇の原因が大半人間活動によるとする5つの証拠があると書かれているが、いずれも一種の「状況証拠」に近く、本書の著者にしては推論における科学的厳密さに欠ける印象を免れがたい。

結論的に、筆者は、上記の考え方に賛成しない。大気と地表間のCO2交換量が毎年200 Gt-C以上あり、この中で人類由来のCO2は同8〜9 Gt-Cしかないから、毎年のフローの4.5%である点は正しいが、大気に残留するCO2が全て人類由来分で、自然からの排出分は全部吸収される(=自然の排出・吸収は平衡していて正味の出入りはない)とする考え方は、筆者にとってはいかにも不自然で、同意し難い。大気中で完全混合している気体のCO2で、人類由来のものだけが選択的に残留し、自然由来は全部吸収されると言う理屈が理解できないからである。

「気候変動の真実」から何を学ぶか①
(画像=rui_noronha/iStock、『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

実際、IPCC報告書においてさえも、産業革命以後に増えたCO2放出量のうち、71%が海洋放出増加分、つまり自然増だと書いてある。人類放出分だけが大気に蓄積するとの考えには、どうにも無理があると思う。

これまで観測されている限り、収支計算の上で、大気中CO2濃度の上昇量が、同期間に人類が放出したCO2量の半分に見合う量であることは、科学的にほぼ確実な事実だが、それは人為的放出分の半量がそのまま大気に残ると言うことを意味しない(そんなことはあり得ないとするのが筆者の考え)。この点は重要なので念を押しておく。またこの点は「脱炭素」の有効性に関しても決定的に重要な論点である(筆者の考えが正しければ、人為的CO2放出分は大気中CO2濃度への影響が小さいから、脱炭素政策には科学的根拠がないことになる)。

もう1点、大気中の炭素総量は約850 Gt-Cであり、毎年の交換量が200 Gt-C以上あるのだから、大気中のCO2の平均滞留時間は4年強のはずである。しかし本書では、CO2は気候循環に長く留まるとも書かれている。現在排出されているCO2の約60%は20年後も大気中に留まり、30〜55%は100年後もまだそこにある、と。4年ちょっとで全量入れ替わるほど激しく交換されているはずなのに、なぜ60%も20年間残留するのか、筆者には容易に理解できない。本書の内容の大部分は首肯できるのであるが、この炭素収支関連だけには、幾つか違和感を感じたことを告白しておこう。

本章の内容は豊富で、この他にも過去5億5千万年間の大気中CO2濃度変化が載っており、それによれば大気中CO2濃度が現在と同じくらい低かったのは3億年前のペルム紀だけで、他の時代の多くでは現在の5〜10倍も濃度が高かった。すなわち、自然変動によって大気中CO2濃度は非常に大きく変わり得る。またメタンに関する記述もあるが、これについては省略する。温室効果ガスの排出シナリオについては、IPCCの提出したものを紹介しているが、筆者にとってはさほど興味を惹かなかった。シナリオは、どのようにでも書けるからである。

第3章の内容だけにはあれこれ言いたいことが多かったため、第3章の紹介までで規定の文字数に近づいた。今回はここまでとするが、実は、本書の大きな魅力は第4章以降にあるので、次回以降をお楽しみに。

最近IPCCがまたぞろ「脅かし」報告書を出したが、まずは本書のような科学的に堅実な本で知識を確実なものにしていただきたい。

文・松田 智/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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