お金を使う時はすべてが「投資」行為

現在の私はお金を使う時も、すべて投資行為の一環として実践しています。

外食をする時は、ワンコインランチで揚げ物が出てくるお店は選ばず、1,000円でも新鮮な野菜が豊富に出てくるお店を利用します。これは「+500円で健康を得る」という投資目的を満たすためです。

また、先日より筋トレを実践しています。記事を書いた時からトレーニングはずっと継続しており、少しずつ重量の重いものを持ち上げる筋力を獲得しつつあります。1回わずか300円ほどの激安投資ですが、筋トレをする目的は、「体力をつけてよりビジネスに邁進するため」「テストステロン値を高めて、果敢に挑戦するメンタルを醸成するため」という、やはり投資目的があります。

書籍を買う時は「購入して得られた知識やノウハウについて、自分の体験談と絡めてセミナーやブログで役に立つ情報としてシェアする」という位置づけです。これも同じく、投資行為にあたります。

お金を使う時は、必ず後で利息をつけて回収する、という思考で取り組んでいます。

稼ぐに追いつく貧乏なし

会社員をやめ、起業家・投資家として日々稼ぐことに奔走する生活をしていると、「稼ぐに追いつく貧乏なし」という言葉が腑に落ちるようになりました。働くのをやめない限りは、ずっとお金は入り続けますから「お金がなくなったらどうしよう」という不安とは完全に無縁でいられます。

昔はランチに1,000円以上使うことは、年に数回程度の贅沢行為だったのですが、今では「これが食べたい」と思ったら、まったく値段をみずに迷わずオーダーするようにしています。

これは「自分は稼いでいるから贅沢ができるんだ」と稚拙な自慢をしたいわけではなく、「本当はこれが欲しいのに…」という、我慢を溜めることにもはや有意義さを感じないからです。上述の通り、かつてそれをやって失敗をしました。ケチから生まれたお金は決して生き金にはならないのです。

貧乏から開放されるには、「使う→稼ぐ」というお金との付き合い方を変えることです。そして「稼ぐ」ことは苦痛や我慢などではなく、人から喜ばれる本来楽しさに溢れた行為です。今では使うことで得られる幸福度より、稼ぐことの方が圧倒的に大きいと感じて、楽しく稼いでいます。

「楽しく稼ぐ方法論」を体得した時、もはやその人は貧しさから開放されると考えます。

文・黒坂岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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