周囲は「炎上覚悟マン」に内心冷めている
人は強さに惹かれる。サルだってボス猿に強さを求めている。うちら現代人もしょせんはスーツ着て道具の使い方知ってるエテ公に過ぎないんで、本質的に強い人に惹かれるのはまあ分かる。
だから「炎上覚悟で」と前置きをしているのに炎上の覚悟が感じられない発言をされた日には、「あ、この人日和ったな」と弱さを感じるわけよ。もちろん、決して声には出さないけど、「この人いつも想定内のことしか言わないな」という相手に強さは感じない。
「この人についていきたい」という求心力はひとえに強さによるものだろう。「強さ」とは周囲の声に負けない求道的で、自分の信条を堅持する姿勢から感じられるものだ。それなのに炎上にビビったような印象を与える発言をするなら、「炎上覚悟で」なんて言わないほうがマシなのではないかと思ってしまう。
「炎上覚悟」というなら、周囲の冷笑を誘わないためにも本気の本音をいったほうがいいとおもう。それができないなら、「存在しない覚悟」なんて見せないほうが良さそうだと思っちゃう。まあ個人意見なんで好きにしてくれればいいよ。
文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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