努力をすることが想定外の新たな価値を連れてくる

そして努力することの副産物的な価値は、本来目指していた成果とは異なる価値を連れてきてくれることにある。

筆者は大学卒業後、リーマンショックの打撃を受けて焼け野原となった就活戦線で苦戦を強いられた。どれだけ応募してもまったく相手にされず、「このまま一生無職が続いたらどうしよう」と眠れないほどの不安を覚えたものだった。

とにかくガムシャラに応募しながら、得られた知見がある。それは「変化するマーケットのニーズを鋭く嗅ぎ分け、市場が求める人材になることの重要性」だった。それまでは「自分は努力してきて、ビジネススキルも知識もある。きっと、高待遇で採用してくれる会社には困らないだろう」という傲慢な態度だった。だが、この態度が粉々に打ち砕かれた時、初めて市場ニーズの存在を深く意識することができた。この気付きは、就活でもがき苦しむ努力した中で見つけた、筆者にとっての光明だった。

あの時、必死に努力をすることで求めていた成果は「内定」だった。だが、それ以上の想定外のたくさんの気づきや経験をもたらしてくれたのは「努力するプロセスそのもの」である。

「成果の出ない努力になど価値はない」という二元論は、結果にしか焦点が当てられていない議論だ。そろそろ、この価値観が見直されていい時が来ている。

文・黒坂岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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