「先生」にこだわる人は世の中を上から目線で見ている
自分が先生と呼ばれることにこだわる人種は、個人的に世の中を上から目線で見ていると思っている。筆者はそうした人と付き合ってきたが、他人を見下す姿勢が彼らの言動の数々に散りばめられている。そう感じたことは一度や二度ではない。
思うに自分が「先生」と呼ばれることにこだわるのは、相手より上に立ちたい、いや本質的には上に立っているはずだ、という痛い勘違い臭、老害臭が漂う。
個人的には相手に先生と呼ばせるようになったら、老化の入り口だと思っている。相手から学びを得る可能性を放棄し、自分が支配者の立場になりたいという姿勢に刹那的な心地よさはあっても、成長はない。オレは英語を教えているが、相手からも多くを学ばせてもらっている。学習者の悩みや、不安な心理はお金を払ってでも学ぶ価値があると思っている。そう、オレも英語を教えているが、相手からも教わる生徒でもあるのだ。だから「先生扱いされたい」なんて気持ちが1ミリもない。むしろ「こちらはあなたからも、勝手に学ばせていただきますw」という生徒でありたいと思う。
文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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