大金を得た時から、人はナマの人生を歩むことになる
人は大金を得るとその時から夢が現実そのものになり、一切の言い訳ができなくなる状況へと追い込まれる性質がある。
「気の向かない労働をするせいで、本当にやりたいことに使う時間がない」
という人も、いざ大金が入って気の向かない労働を辞めた時、「本当にやりたかったこと」を見つけて、楽しむことは簡単なことではない気がしている。
「お金がないからモテない、結婚できない」
そう嘆く人はいざ大金を得た時には、自分自身が人を振り向かせる魅力があるか?を試されるだろう。大金を得た後、それでもなお、意中の相手を振り向かせられなかった時の絶望を想像し、立ち尽くしてしまう人も出てしまうのではと考えてしまう。
大金を得ることで、「幸せそのものを手に入られる」と錯覚しがちだ。確かに大金は不要なストレスを消し去り、人生の選択肢を広げる力がある。それは幸せなことなのかもしれない。だが、お金で不要なことを消し去り、ナマの人生を歩み始めた時、その人の人生が真に試される時が来るのではないだろうか。
文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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