合理的でなければ、賢くてもダマされる

世の中にはもっともらしく見えるが、実際は正しくない話が多い。投資詐欺案件や、カルト宗教、その他政治家など枚挙にいとまがない。そしてそうしたものに熱心になる人ほど、高学歴や医師、社会的に地位が高かったりする。筆者は昔、「なぜこんなに頭のいい人が、道理の通らないことにコロリとダマされてしまうのか」と不思議でならなかった。だが今はよく理解できる。知性が高い人ほど、自分の信じたい主義を裏打ちする偏向情報を集めるのが上手だからだ。自分が信じたいと思う方向からしか調べないのは、合理的とは言えない。

彼らに不足しているのは知性ではなく、合理性だ。そして高度に情報化された現代社会においても、依然として生まれ持った高い知性より、知識や技術を集積させた「合理性」が有利に働く局面は少なくない。どれだけもっともらしい理論をいい、「世界屈指の頭脳を集めた、人工知能による自動トレードで金融市場を出し抜ける」と言われても、「投資に絶対はない」という絶対普遍の真理を1つ理解しておくだけで、盲目的に大金を投じるという愚かな過ちを回避できるだろう。

自身の知性を過信せず、合理的な判断を下す力を高める意欲が必要だ。

合理性を高めるには「学ぶ」

冒頭で述べた通り、固定値である知性を後天的に高めることは難しい。だが、変動値である合理性は努力で伸ばすことができる。その努力とは「学ぶ」ということだ。

この学ぶというのは必ずしも、学校や資格の勉強を意味することに限定しない。失敗から学び、改善し、次回につなげるという繰り返すことでも高めることができる。「自分は優等生で頭がいい」と自己知性を過信して改善をおざなりにすると、待っているのは合理性を欠いた愚かな決定者であろう。

文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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