インスリンは、糖尿病をわずらう多くの患者にとって必要不可欠な薬です。

しかし、”海の殺し屋”イモガイが獲物を狩る際に使っている毒も、実はインスリンなのです。

驚くべきは、イモガイが持つインスリン作用の速効性です。

今回、ユタ大学(UU・米 )、スタンフォード大学(SU・米)、コペンハーゲン大学(UC・デンマーク)の研究チームは、この速効性に注目し、ヒトインスリンとかけ合わせた、新たなハイブリッドインスリンを開発しました。

では、イモガイの毒インスリンの速効性には、どんな秘密が隠されているのでしょうか。

研究の詳細は、2022年3月14日付で科学雑誌『Nature Chemical Biology』に掲載されています。

目次

  1. なぜイモガイの毒インスリンは速効性があるのか?
  2. 毒インスリン分子を用いた「新型ハイブリッド」を開発

なぜイモガイの毒インスリンは速効性があるのか?

イモガイが触手の先から魚に注入しているのがインスリンです。

イモガイは一瞬のうちに毒インスリンを注入していて、小魚は低血糖ショックを起こして気絶しているのです。

しかし、現在人間が医療で用いるインスリンには、ここまでの即効性はありません。

なぜイモガイのインスリンはこれほど即効性が高いのでしょうか?

その秘密を知るには、まず、インスリンの仕組みを理解しなければなりません。

インスリンは、血糖値を下げる働きをするホルモンで、すい臓で生産されます。

しかし、糖尿病になると、十分なインスリンが作れなかったり、効果が発揮されなくなるため、血中を流れる糖分が増えてしまいます。

そこで、外部注射により足りないインスリンを補います。

重要なのは、ここからです。

インスリンが体内で効果を発揮するには、分子が1つの状態(単量体といいます)にならなければなりません。

しかし、注射用のインスリン薬は、6つの分子がひとかたまり(6量体)になっています。

6分子の状態だとインスリン分子が安定するからです。

これを体内に注入すると、細胞間にある液体でだんだん薄くなり、6量体から2量体に、そして最終的に単量体へと分解されます。

こうして血管の中に入り込めるようになり、全身の1つ1つの細胞までインスリンが届いて、効果を発揮し、血糖値を下げてくれるのです。

イモガイの毒から速効性のある糖尿病用「新型インスリン」を開発
(画像=インスリン注射は分子の分解に時間がかかる / Credit: canva、『ナゾロジー』より引用)

問題は、インスリン分子が集まった状態から分離するまでに1時間ほどかかることです。

この「遅延」のせいで、すぐさま血流に移行できず、たとえば、食後の急速な血糖上昇などに対応できなかったりします。

これは、インスリン注射の大きな課題でした。

ところが、本研究チームのヘレナ・サファヴィ(Helena Safavi)氏は、ユタ大学のポスドク研究員をしていた際、アンボイナガイ(Conus geographus)というイモガイの毒インスリンが「分子のクラスターを作らない」ことを発見したのです。

詳しく調べてみると、毒インスリンは6つの分子ではなく、1分子で安定した状態にありました。

つまり、イモガイは医療で使われるものと異なりいつ使っても、瞬時に効き目を発揮し、魚を気絶させられるインスリンを使っていたということです。

研究チームは、この分子の特徴を組み込めば、ヒトインスリンに「速効性」を持たせられるのではないかと考えました。

毒インスリン分子を用いた「新型ハイブリッド」を開発

その後の研究で、同様の毒インスリンを持つイモガイは、先のアンボイナガイだけでなく、他に約150種もいることが分かっています。

このたびの最新研究では、キノシタイモガイ(Conus kinoshitai)という種のインスリン分子を用いて、ヒトインスリンとかけ合わせ、新たなハイブリッドインスリンを開発しました。

本種のインスリン分子は、アンボイナガイのそれとまったく違う構造をしていながら、速効性を持ち、クラスターも形成していませんでした。

今回のハイブリッドインスリン分子は、ヒトインスリン受容体に結合する機能を維持しつつ、クラスターも形成しないという目標が達成されています。

イモガイの毒から速効性のある糖尿病用「新型インスリン」を開発
(画像=イモガイの毒インスリンを使ってハイブリッドを試作 / Credit: canva、『ナゾロジー』より引用)

通常、ヒトインスリン受容体は、インスリン分子同士をつなぐ領域によって活性化されますが、ハイブリッド分子には、クラスター化を防ぐため、その領域が取り除かれて存在しません。

しかし、その領域がなくても、インスリン受容体を活性化できることが確認されています。

「この結果は、糖尿病患者のためのよりよい治療法を開発するエキサイティングな道を切り開いた」と、ユタ大学の生化学者であるクリストファー・ヒル(Christopher Hill)氏は話します。

自然の中で生物たちが様々な進化の果てに獲得した毒のカクテルが、ヒトが見落としていた重要な特性を獲得していたのは、非常に興味深い事実です。研究者はこの点を指摘してエキサイティングと表現しているのです。

ただし、ハイブリッドインスリンの実用化には、臨床試験や改良がまだまだ必要です。

それらの問題点を解決し、イモガイと同じ速効性を実現できれば、患者の血糖値をより良くコントロールできる新薬が誕生するでしょう。

参考文献
MARINE SNAIL INSPIRES FAST-ACTING INJECTABLE INSULIN FOR BETTER DIABETES CONTROL
Marine snail inspires fast-acting injectable insulin for better diabetes control

元論文
Symmetric and asymmetric receptor conformation continuum induced by a new insulin

提供元・ナゾロジー

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