限られた自由時間を有意義に使えているか?

世の中は「自由がない!」を嘆く人で溢れている。それが2年間だと突きつけられれば更にそう思うだろう。

確かに現代人は忙しくなった。「現代人が一日で触れる情報量は江戸時代の一年分に相当する」という話もあるくらいで、日々大量の情報を浴びている。世の中の変化も速く、常に意思決定に迫られている。体は肉体労働から開放されても、我々の脳は常にその咀嚼に稼働して忙しくなったのだ。

「本当に自由に使える人生の時間」日本人はたったの○年間
(画像=YinYang/iStock、『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

だが、実際のところ現代人は「自由がない」ということに困っているのではなく、「自由時間を有意義にどうすごすか?」で困っている人も多いように思える。つまり、人生をかけてやりたいことを見つけることができず、結果として自由時間を持て余しているケースもあると思うのだ。それ故にいざ自由時間を与えられても、持て余してしまい漫然と過ごしてしまい後から罪悪感を覚える人もいるだろう。

それは電車に乗っている人を見ればわかる。電車の移動中は時間的拘束を受けているようで、両手や脳は自由に開放されている。それでいて、かなり多くの人は「ヒマつぶし」と見られる行動を取る。つまり、移動時間をムダなものと捨ててしまっているということだ。人がどのように行動するかは自由だが、有意義に過ごす方が充実した時間になるのではないだろうか。

筆者は東京や大阪に住んでいる頃、電車の移動中は猛烈に学術書や英語学習本、ビジネス書をひたすら読み漁っていた。英検1級の合格に必要な英単語のほとんどは、電車の移動時間中で覚えたという感覚がある。

限られた時間が少ない場合でも、ムダにせず有意義に過ごす方が良いと思うのだ。どう過ごすか?はひとりひとりの意思決定にかかっている。

時間は有限である。当たり前で周知の事実だが、問題はそれを「実感を伴って理解できているか」だろう。今の若さが永遠に続き、時間さえあれば自由に行動できる、などと思うべきではない。加齢と共に体力や気力は衰え、活動可能時間は着実に減少していく。

今この時の瞬間にしかできないことは多い。ムダな時間を過ごさず、「2年間」を悔いの残らないように使えるかは、我々一人一人の双肩に託されている。

文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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