かつてスコットランドに存在した部族「ピクト人」をご存知でしょうか?
彼らの物語は謎に包まれていますが、スコットランドの歴史を語る上で、外すことのできない人々です。
そしてこのほど、アバディーン大学(UA・英)の発掘調査により、ピクト人の手による石碑「シンボルストーン(Pictish stone)」が発見されました。
これまでに見つかっているシンボルストーンは、わずか200個ほど。
きわめてレアな発見であり、ピクト人の秘密の一端を明らかにするための貴重な資料となるでしょう。
ここでは、今わかっているピクト人の歴史と、今回のシンボルストーン発見の経緯について、詳しく見ていきます。
目次
謎多きピクト人は「タトゥー軍団」だった?
シンボルストーンは「ピクトの秘密」を語る最良の資料
謎多きピクト人は「タトゥー軍団」だった?
ピクト人は、古くからスコットランドの北部、ハイランド地方を支配していた強大な部族として伝えられています。
記録に初めて現れるのは、西暦98年に古代ローマ人のタキトゥスが書いた『アグリコラ』においてです。
そこでは、西暦83年にローマ帝国軍とピクト軍が戦い、ローマ軍が大勝した旨が記されています。
しかし、ローマ側の犠牲者が少なかったことを除けば、詳しい戦果は不明です。
また、ローマ人が命名したとされる「ピクト」は、ラテン語で”刺青をしていた人々”を意味する「Picti」に由来すると言われています。
当時から体を彩色したり、模様を描いたりする文化はすでに存在したため、ピクト人もタトゥーを入れていたかもしれません。
その後、407年にローマ軍が撤退してから、スコットランド地方は群雄割拠の時代に突入しました。
北西部はスコット人の率いる「ダルリアダ王国」が、南部はブリトン人の率いる「ストラスクライド王国」とアングル人の率いる「ノーサンブリア王国」が、そして北東部をピクト人の率いる「アルバ王国」が支配しました。
さらに、8世紀に入ると、東の海からヴァイキングがたびたび襲来するようになります。
ピクト人は、西のダルリアダ王国と東のヴァイキングを相手に抗戦を続けましたが、9世紀(843年の説も)に、ダルリアダ王国の前に屈しました。
そして、ピクト人はダルリアダ王国に吸収される形で姿を消し、ここにスコットランド王国が誕生したのです。
その中で、ピクト文化に関する記録や遺物も消えていき、彼ら自身も”謎のピクト人”としてのみ語られるようになりました。
こうした背景があるために、今回のシンボルストーンの発見は、きわめて重要かつ驚くべきものだったのです。
シンボルストーンは「ピクトの秘密」を語る最良の資料
アバディーン大学の考古学研究チームは、2020年初めに、スコットランド北東部アンガスにあるアバレムノ(Aberlemno)にて、発掘調査を行いました。
その中で、ある区画にかつての集落の証拠と思われる痕跡を発見。
建物の跡を確認すべく、小さなテストピット(穴)を掘り始めたのですが、なんと驚くことに、ピクト人のシンボルストーンが出土したのです。
高さは約1.7メートルほどで、表面には三重の楕円や三日月、鏡、V字の線、二重円盤など、ミステリーサークルを彷彿とさせる不思議な紋様が刻まれています。
この特殊な紋様は、他に見つかっているシンボルストーンに見られるものと特徴が一致します。
チームは、このシンボルストーンについて、「約1400年前の5〜6世紀頃に製作されたもの」と考えています。
発掘を率いたゴードン・ノーブル(Gordon Noble)氏は「考古学的発掘の一環として、シンボルストーンが見つかるのは非常に珍しい」と指摘。
「アバディーン大学は、過去10年間ピクト文化の研究をリードしてきましたが、これまでシンボルストーンを発見したことはありませんでした。
このような石碑は200個ほどしか知られていません。
畑を耕すときや道路を作る際に偶然掘り起こされることがありますが、損傷したり、周囲の遺物まで破壊されたりすることが多いです。
しかし今回は、重要な証拠を失うことなく、周囲の地層からもより詳細な情報を抽出することが可能でしょう」
また、石を最初に発見したジェームズ・オドリスコル(James O’Driscoll)氏は、当時の興奮についてこう語っています。
「石碑の一端が見えたとき、叫び声が上がりました。そして、表面のシンボルが浮かび上がると、さらに大きな歓声が上がり、私は少し涙してしまいました。
この感覚は、おそらく二度と味わうことのできないでしょう」
しかし、肝心のシンボルストーンの詳細な分析はこれからです。
これまでに見つかっているシンボルストーンの中には、西暦685年に勃発したピクトvsノーサンブリアの「ダンネクテインの戦い(Battle of Dun Nechtain)」を記したものが見つかっています。
それゆえ、シンボルストーンは、ピクト人の過去をひもとくための最も重要な資料と言えるのです。
石は現在、エディンバラのグラシエラ・エインズワース保存研究所(Graciela Ainsworth)に移され、調査の準備を進めています。
このシンボルストーンが、謎に包まれたピクト人の秘密を少しでも明らかにしてくれることに期待しましょう。
参考文献
Stone me! Rare Pictish symbol stone found near potential site of famous battle
提供元・ナゾロジー
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