コロナの功罪〜日常と非日常の逆転〜
コロナが来ても来なくてもネット社会は進んでいた。たまたまコロナ禍によって接触が制限されたおかげでオンライン生活が加速された。コロナが来なくてもいつか来る社会だったのだ。
その結果、スマホやタブレットやPCを使っての生活(買い物、会話、仕事など)が当たり前となり、これはリアルそのものになった。これを功と見るか、罪と見るか、はたまた功と受け止めて行動するか、罪と見て行動しないか、これも人それぞれであることも現実(リアル)だ。
ECやSNSで暮らすことが当たり前となったいま、リアルな生活はネットを介した社会に移っている。だから、これまでリアルと考えられてきたショッピングセンター(SC)など商業施設は、逆に非日常空間となる。言うならば生活の中の非日常空間だ。商業施設に足を運ぶということは、ECやSNSで済むことを我々はわざわざ時間を使って出かける行動を起こす必要がある。
でも、いざ出掛けて行っても欲しいものが無い可能性もある。店舗の接客で不愉快になることもある。停めた車が傷つけられることもある。途中、事故に遭うかもしれないし、電車が故障で閉じ込められる可能性もゼロでは無い。
消費者は、これらのリスクを負って出かける勇気と決意を常に求められるわけだが、これだけの決意を単なる日常空間に行くために使うエネルギーとしては大き過ぎる。だから、このエネルギーを使ってまでわざわざ出掛けるモチベーションを作る「何か」を提供しないといけない使命をSCや商業施設には求められる。
ポストコロナ、SCの提供価値とは何か?
非日常となったリアルは、今後、ますます「楽しさ」を求められることになる。スマホで済むところをわざわざ出かけてきてもらう価値を提供しなければでかけてきてもらえない。
では、楽しさとは何か。
これまで非日常空間や楽しさは、エンターティンメント性のような娯楽施設をイメージした。確かにエンターティンメント性はこれからも有効だと思うが、前述のように集まって飲むだけで非日常となることを考えると、それほど気張ったものでなくとも十分非日常性を作ることはできるはずだ。
皆、ずっと家にいたいわけではないし、ご飯も一人で食べてばかりでは気も滅入る。ポストコロナ、SCは出掛けてくる楽しさを作ることにある。ECで買えるものばかりが並んでいたり、販促や接客で無理やり買わされたり。そんな場所である限り、生活の中の非日常空間の評価にはならない。
もちろん、入居するテナントは販売やサービスの提供が当然だし、SCのサポート機能はなくならない。だからSCはそれ以外でも人々が来たい魅力を作ること、この魅力が提供価値となる。店舗とECの在庫連動の仕組みもいいが、それで皆が来たくなる施設になるのだろうか。「ECはバーチャル」などと言っていてはリアルを見失うことになる。そして、この価値を作り出せない限り、SCもメタバースに置き換わる。
「皆が時間を割いて来てくれるSCとは?」ポストコロナのテーマである。
提供元・DCSオンライン
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