ヒトは生まれながらに歌う生き物のようです。
米国MIT(マサチューセッツ工科大学)の研究によれば、会話や楽器演奏では活性化しない、歌にだけ反応する脳回路が発見された、とのこと。
新たに発見された「歌回路」は、音声認識を行う「音声回路」と、音楽やリズムを認識する「音楽回路」の中間に位置しており、ヒトの歌声を感知すると特定のパターンで発火します。
また歌回路は、読書スキルや演奏スキルなど学習後に作られる脳回路とは異なり、生まれながらに存在する先天性の回路である可能性が高い、とのこと。
しかし、なぜ人類はうまれながらに「歌」を認識する能力を授けられているのでしょうか?
研究内容の詳細は、2022年2月22日に科学雑誌『Current Biology』にて公開されています。
歌だけに反応する脳回路を発見!
「ノーミュージック、ノーライフ」と言うように、人生における音楽の重要さは多くの人々が共感するところです。
脳科学の分野でも音楽研究は盛んであり、近年の研究では、ヒトの脳には音楽にのみ反応する専門の音楽回路や、ヒトの音声に対して特に鋭く反応する音声回路があることが知られるようになってきました。
専門回路の存在は音声や音楽を、その他の雑音と区別することに役立っていると考えられます。
では音声と音楽のミックスである「歌」は脳内でどのように表現されているのでしょうか?
考えられるパターンとして有力視されていたのは、音声と音楽を認識する両方の脳回路を「借用」している可能性と、歌を認識する別の専門回路が存在する可能性でした。
そこで今回、MITの研究者たちは、人間ドックなどに使われる「MRI技術」と脳に電極を直接あてて電気活動を調べる「ECoG技術」を組み合わせ、脳内で歌がどのような神経回路によって処理されているかを調べることにしました。
(※脳への電極挿入は、てんかん治療の過程で行われました)
具体的には、ヒトの会話音声や楽器演奏、歌、雑音など165種類の音を被験者に聞いてもらい、MRIと電極によって測定された神経活動パターンを収集しました。
結果、ヒトの脳には歌だけに反応する専門回路(歌回路)が存在することが判明したのです。
この歌回路は会話音声や楽器演奏ではほとんど活性化しない一方で、ヒトの歌声に対しては鋭く反応して独自の神経パターンを構築しました。
つまりヒトの脳は、歌を音声や音楽のミックスとして認識するのではなく、「歌」という独自のジャンルで識別していたのです。
また歌回路は側頭葉の上部にある、音声と音楽の専門回路の間に存在していることも判明しました。
この結果は、歌はまず歌回路で認識・処理され、次いで音声回路と音楽回路に処理情報が伝えられることを示唆します。
歌は人間の脳にとって音声でも音楽でもなく「歌」であり、音声や音楽的な理解はあくまで付随的なものだったのです。
そこで問題となるのが、歌回路が先天性のものか後天性のものかです。
ヒトは生まれたときから「歌」を知っている
ヒトの脳には音声や音楽、読書や自転車に乗るスキルなどを取り扱う、さまざまな神経回路が存在します。
これら神経回路には、人類が生まれながらに形成できる先天的回路と、学習や経験によって形成される後天的回路が存在します。
先天的回路の効力として考えられるのが「4」まで数える能力です。
人間には一切の教育を受けなくても「4」までを直感的に認識できる能力があります。
(※しかし「5」以降にかんしては「数字の名詞」を知らない場合、正確に認識できません。)
一方、後天的回路と考えられているのが読書能力です。
人類が文字を発明したのは進化の歴史において直近であり、それゆえに脳は厳密な意味での、先天的読書回路が存在しません。
人類が読書を行えるのは、狩猟採集生活を通して身に着けた短期記憶力や形状判別力を転用して、読書用の神経回路を後天的な学習によって獲得しているからです。
(※読書能力の転用元である短期記憶や形状判別能力をアクションゲームなどで訓練することで、読書能力の底上げも可能であると報告されています。)
では、歌を専門的に認識する「歌回路」は先天・後天のどちらなのでしょうか?
研究者たちは「歌回路は先天的回路である可能性が高い」と述べています。
その理由としてあげられるのが「歌」の存在の普遍性です。
どの人類社会を調べても、何らかの形態の「歌」と呼べるものが存在しています。
そして「歌」に必要なテクノロジーはありません。
そのため、人類にとって「歌」は自然で本能的な行為であると研究者たちは考えています。
しかし歌回路が先天的なものだとしたら、なぜ人類はそのような進化を遂げたのでしょう?
歌う能力は進化上、どのような利点があったのでしょうか?
歌のあるメロディーのほうが記憶に残る
歌う能力が何の役に立つのか?
理由の1つには、声を出す声帯の調節力と歌の関係があげられます。
声帯の調節能力は発話能力と一体であり、その力の高さは言語能力の高さと関連します。
高い言語能力を持つことは生存にとって非常に有利であるため、進化のある段階では、歌の上手さが「生存能力の高さ」を表す指標になった可能性があります。
歌が上手いと、異性と交配するチャンスも増えて、子孫を残しやすくなったと考えられます。
つまり、歌が上手いとモテたわけです。
現代社会においても歌の上手さがモテ率と関係しているのは、もしかしたら言語能力の高さを欲する太古の遺伝子のせいかもしれません。
また別の理由として考えられるのは、歌による神経回路の強化です。
これまでの研究によって、歌があるメロディーのほうが、楽器のみを用いたインスト音楽のメロディーよりも強く記憶に残ることが知られています。
なぜ歌が情報記憶を強化するかという神経メカニズムは謎ですが、歌回路という別系統の情報経路を利用することで、多方面から刺激された神経回路が強化されると考えられます。
また、歌には音楽に比べて感情を刺激する効果が高いことが知られています。
任意の記憶に感情を付加することができれば、記憶効率のさらなる強化につながるでしょう。
つまり、歌って覚える能力を持っている個体のほうが、厳しい生存競争の勝者になった、というわけです。
研究者たちは今後、歌や音楽の持つ神経コードを解明していくとのこと。
特定の歌やメロディーが、人間の神経回路でコードされていく過程を調べることで、歌や音楽が持つ力の源が解明されるかもしれません。
参考文献
Singing in the brain
元論文
A neural population selective for song in human auditory cortex
提供元・ナゾロジー
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