
ロケ・サンタ・クルス(バイエルン・ミュンヘン)
2016年から母国パラグアイでプレーしているFWロケ・サンタ・クルス。そのため、かつてバイエルン・ミュンヘンやマンチェスター・シティに所属していたことを忘れられがちである。スターになるポテンシャルを持ちながら、身体的トラブルに悩まされてきた選手だ。
バイエルン・ミュンヘンに所属していた1999〜2007年。サンタ・クルスはまだ20代前半だったが、負傷を繰り返し数試合にしか出場できなかった。それでも2000/01シーズンのCLでは6試合に出場し、トロフィーを上げている。
その後サンタ・クルスは、2007年にブラックバーン・ローバーズ(当時イングランド1部、現在2部)へ移籍。体調が整い安定したプレーを見せると、マンチェスター・シティから注目される。ところが、シティに移籍した後にまたも負傷の悪夢が。ベンチにさえ入れない日々が続き、2年間で4得点しか挙げることができなかった。スペインとメキシコで挑戦してからパラグアイに戻り、現在はクラブ・リベルタ(パラグアイ1部)に所属している。
ジョナサン・グリーニング(マンチェスター・ユナイテッド)
熱狂的なサッカーファンでも、この選手の名前をは耳にしたことがない可能性もある。しかし、このイングランド人MFジョナサン・グリーニングにもCL優勝経験がある。
グリーニングは1998年から2001年にかけてマンチェスター・ユナイテッドに所属するも、3年間で出場した試合は数えられるほどだ。しかし、1998/99シーズンのCL決勝となったバイエルン・ミュンヘン戦でベンチ入りし、優勝後の集合写真にも写っている。メダルを手渡された時「本当に私ももらっていいだろうか」と、罪悪感を感じたことをコメントしたようだ。
ユナイテッドを退団した後グリーニングは、イングランドで8度の移籍を繰り返し、7部のタドカスター・アルビオン(2015–2017)を最後に引退を迎えた。
ヨハン・キロフスキ(ボルシア・ドルトムント)
「ちょうどいい時にちょうどいい場所にいる」というフレーズをよく耳にするが、それはまさにアメリカ人FWヨハン・キロフスキを指していると言えよう。
マンチェスター・ユナイテッドの下部組織で育ち、1993年からトップチームに昇格。就労ビザのトラブルが続きピッチに立つことができなかったが、ユナイテッドの登録メンバーとしてリーグ2回(1993/94、1995/96)FAカップ2回(1993/94、1995/96)FAコミュニティ・シールド2回(1993/94、1994/95)の優勝を経験している。
1996年にボルシア・ドルトムントへ移籍することとなるが、同クラブで過ごした4シーズンでは29試合のみの出場、2得点と1アシストしか挙げることができなかった。しかし、ドルトムントが優勝した1996/97シーズンのCLグループステージで数分間ピッチに立ったことによって、キロフスキも勝利を味わうことができている。
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