日本には、優れた技でありながら、伝承者の減少や時代の趨勢により存続の危機に瀕している伝統工芸があります。そういった匠の技はなんとか絶やさずに次の時代に伝え残していきたいですよね。

大分県日田市の小鹿田(おんた)地区で作られている陶芸「小鹿田焼」は、民藝運動(※)で活躍した柳 宗悦(むねよし)が昭和6年に自らの紀行文で「世界一の民陶」と紹介したことから一躍有名になりました。

※民藝運動:名もなき職人が作る暮らしの道具にこそ美しさがあるとしてそれらに光を当てた活動。

弟子を取らず、職人も雇わず、一子相伝、家族だけでひっそりと継承してきた小鹿田焼は、機械化が進む陶芸界において、土作りからすべて昔ながらの手作業で作られています。温かみがあり、素朴な器は、品評会のために作る器ではなく、日常の生活で使われる身近なものが多いのが特徴で、人々の生活に根づいたものです。現在わずが9軒の窯元が静かに伝え続ける小鹿田焼の里をたずねました。

目次
小鹿田焼きとは?
この土地が陶芸で栄えた理由
粘土作りからすべて自分たちで作る
残したい"日本の音風景100選":唐臼(からうす)
取材後の感想

小鹿田焼きとは

小鹿田焼は今を遡ること約300年前、江戸時代に朝鮮から来た陶工により開窯した福岡の小石原焼を兄弟窯として発展してきました。1995年に国の重要無形文化財に指定されています。

小鹿田焼の特徴はリズミカルは幾何学模様で、トビカンナやハケメ(白い化粧土をハケで塗る)を使った伝統的装飾技法を用いて作られます。

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

工房には素朴で温かい風合いの器が並びます。

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

この土地で陶芸が栄えた理由

この土地で小鹿田焼が栄えた理由は次の3つと言われています。

  1. 陶芸に向いた粘土が採れたこと
  2. 薪がたくさんあったこと
  3. 水が豊富だったこと

小鹿田焼は一子相伝で家族にしか伝えられません。小鹿田焼を伝えているのは現在わずか9軒。窯元も時代の流れで機械化が進み、ガス窯や電気窯が増える中、昔ながらの登り窯を使って器を焼き上げています。

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<登り窯>

小鹿田焼では現在、登り窯は4軒が独自窯、5軒が共同窯を使って焼いておられます。今回お話を伺った小袋(こぶくろ)さんは独自の窯を使っておられました。

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<小袋窯>

登り窯は40時間にもわたって焼き続けます。薪をくべるタイミングは3~4分に一度のため、焼きに入っている間は眠ることはできず、夜通し薪をくべ続けなければなりません。想像以上にハードな作業です。

登り窯の中は1,300度にもなるため、熱さとの勝負でもあり、熱風で眉毛を焦がすこともあるそうです。40時間焼いた後、2日間おいて冷ましてから土で塞いだ窯の口を壊して開けます。

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<登り窯の内部>

おんたの名の由来

昔は、陶芸家は農業との兼業で生計を立てていた家も多く、隠し田を持っていた家もあったそうです。隠し田のことを鬼田(おにた)と呼んでおり、それがなまっておんたとなったとも言われているそうです(諸説あり)。陶芸の里は「皿山」とも呼ばれています。

また、普通焼き物には「●●窯」のように個別の窯の名前を刻みますが、小鹿田焼は窯名ではなく、すべて「小鹿田焼」と刻みます。小鹿田焼としての伝統を皆で守っていくことを重視している証かもしれません。

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)
【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

柔らかく優しく温かい焼き物という印象を受けます。

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<白い化粧土を塗ったもの>

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

トビカンナで、模様をあっという間に打ち込んでいきます。

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

寸分狂わぬ間隔と長さで小鹿田焼独特の模様が刻まれていきます。すべて職人さんの感覚が頼りです。トビカンナも自分の使いやすいようにすべて手作りで作られるのだそうです。お父さんと息子さんのトビカンナも長さや曲線が違うのだとか。

粘土作りからすべて自分たちで作る

よその窯では、粘土に精製された土を購入して使うところも多いですが、小鹿田焼の里では、土を採ってきて粘土を作るところからすべて窯元でやられています。

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

掘り出した土を10日くらい乾燥させて、玉になっている部分を砕いていきます。

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

土を水と混ぜて何度も濾して泥にしていきます。

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

粘土になったものが貯蔵されています。

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)
【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

水抜きした粘土を天日や窯の熱で約2か月間乾燥させます。

残したい"日本の音風景100選":唐臼(からうす)

小鹿田焼の特徴として「唐臼」があります。土を粘土にする前に玉になっている土を砕いてさらさらにしていく工程で使われます。

【大分・小鹿田焼(おんたやき)】一子相伝の家族窯で昔ながらの技を守り続ける里
(画像=『たびこふれ』より 引用)

(唐臼)

唐臼は川沿いに作られています。川の水流を利用し、ししおどしの原理で杵を動かし、土を均等に砕いていきます。この動作を約30日間にもわたってやるそうです。

この時の杵が打ち下ろされる時の音は「残したい"日本の音風景100選"」に選ばれているそうです。

この唐臼、24時間ずっと働き続けています。

取材後の感想

緑深い山里で300年以上も前からずっと一子相伝、家族間だけで受け継がれてきた、と言うのは簡単ですが、私たちの想像を絶する大変なことも何度もあったのではないかと思います。時代は変わり、人は変わっても、その火を消さずに未来へ繋いでいくべきものはあると思います。この小鹿田焼はまさにそういう日本の財産だと思います。

唐臼のギットン、バッタンという音を聴き、リズムを感じながらそう思いました。

小袋窯の作品はインターネットでも買うことが出来ます。器によってはリーズナブルなものも多いので、ぜひ覗いてみてください。

文・写真・シンジーノ/提供元・たびこふれ

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