妊娠中に何らかの職業に従事していて、その職務上触れることになる化学物質は、胎児に影響を与える可能性があります。
しかし、妊婦の職業における化学物質ばく露と、胎児の死亡との関係は、ほとんど知られていません。
そこで今回、山梨大学の研究グループが、環境省の主導した出生コホート調査のデータを用いて調査したところ、毛髪染めを使用する職業において、死産発生の割合が大きいことが判明しました。
毛髪染めを使用する職業、つまり「美容師」です。
妊婦の年齢や喫煙習慣、病歴などを考慮しても、死産の発生率が有意に高かったといいます。
研究の詳細は、2021年11月9日付で、環境医学などの科学雑誌『International Journal of Environmental Research and Public Health』に掲載されています。
国際目標とは裏腹に、いまだ無くならない死産
はじめに、今回の研究は出生コホート調査のデータ分析から導かれた報告である点に注意してください。
出生コホート調査とは、子どもが生まれる前から成長する期間を追跡して調査する疫学手法のことです。
この調査では、生体試料の採取保存・分析も行いますが、参加者へのアンケートなど質問票を用いた回答データも多く含まれ、必ずしも客観的なデータとは言えません。
本研究は、妊婦の職業上の化学物質の使用やその頻度について、質問票への回答で評価したものであり、血中の化学物質濃度などの客観的な指標を用いた分析結果ではありません。
とはいえ、コホート調査は数十万単位の大規模な人数を長期間にわたって追跡できるところにメリットがあり、集団に潜む重要な傾向を発見できます。
今回用いられた「子どもの健康と環境に関する全国調査(エコチル調査)」は、2010年度から全国で約10万組の親子を対象に、環境省が大規模かつ長期にわたって調査したものです。
エコチル調査では、母体血や臍帯血、母乳等の生体試料を採取保存・分析するとともに、追跡調査を行い、子どもの健康に影響を与える環境要因を明らかにすることを目指しています。
現在、全世界において毎年約260万件の死産が発生しています。
国際的には「妊娠1000件あたり12件以下」の発生率に抑えることが目指されていますが、残念ながら日本では年間1000件あたり約20件の死産が発生しています。
死産の発生原因を追求し対策することは、少子化が進む現代において早急に進める必要があります。
胎児が死亡することは死産・流産と表現されますが、
・妊娠21週までに赤ちゃんが死亡した場合を「流産」
・妊娠22週以降に子宮内で赤ちゃんが亡くなり、その赤ちゃんを出産した場合を「死産」
として使い分けています。
胎児の死亡原因については、これまで妊婦の年齢、肥満、高血圧、糖尿病、喫煙習慣といった要因が明らかにされていますが、妊婦の化学物質ばく露と死産の関連はよくわかっていません。
女性の社会進出によって、妊婦が仕事を続ける状況は増え続けています。
こうした状況だと、職種によっては妊婦が意図せず、さまざまな化学物質に触れてしまう機会も増えます。
そこで研究チームは、職業上触れることになる化学物質ばく露の頻度と、流産・死産の発生割合の関連性を検討したのです。
毛染めと胎児死亡の関連性
本研究では、日常的に用いることの多い以下の4種類の化学物質について調査されました。
①灯油・石油・ベンジン・ガソリン
②塩素系漂白剤
③殺虫剤・除草剤
④毛髪染め
対象者には妊娠初期と中期のそれぞれにおいて、これらの化学物質を仕事で半日以上使用した頻度を回答してもらい、その後の流産と死産の発生割合との関連を調べました。
ここでは妊婦の年齢、喫煙習慣、病歴、業務時間、業務上の立ち時間の長さなど、死産や流産の発生と関連を持つ要素も考慮して解析されています。
その結果、仕事で毛髪染めを使用することがない妊婦の死産の発生割合は1000人当たり1.6件でした。
しかし、毛髪染めを月に1~3回使用する妊婦では1.9件、週1~6回使用する妊婦では7.7 件、毎日使用する妊婦では8.1件となり、仕事で毛髪染めの使用頻度が高くなるほど死産の発生割合が大きいことがわかったのです。
なお、仕事で毛髪染めを使用している妊婦の割合は、月に1~3回が全体の約9%、週1~6回が約0.6%、毎日使用が約0.4%でした。
また、妊娠初期における毛髪染めの使用頻度は、流産発生と関連性が認められませんでした。
さらに、妊娠判明時に美容師以外の職業であった妊婦の死産の発生割合は1000人当たり3.4件だったのに対し、美容師だった妊婦は5.8件と、他の職業より死産の発生割合が大きい結果となったのです。
死産につながる他の因子を考慮した上で、妊娠判明時の職業を比較しても、美容師である妊婦は死産の発生割合と大きな関連が認められました。
一方で、毛髪染め以外の化学物質(灯油・石油・ベンジン・ガソリン、塩素系漂白剤、殺虫剤・除草剤)については、流産・死産の発生割合と関連性が認められませんでした。
なぜ毛髪染めだけが、それほど死産発生に影響するのでしょうか?
これについては、一般的な毛髪染めに含まれる成分「アニリン誘導体」に原因がある可能性が考えられます。
「アニリン誘導体」は、体内の酸素を運ぶ物質であるヘモグロビンを酸素が運べないメトヘモグロビンに変化させます。
これはメトヘモグロビン血症という、死につながる可能性もある症状を起こすことで知られています。
もちろんこれはあまりに多量に吸引した場合に起きる問題ですが、胎児と大人では影響する分量が異なります。
妊婦の皮膚吸収や吸引で、体内に侵入した「アニリン誘導体」が、胎盤を通して胎児の血中に行こうした場合、危険な可能性があるのです。
これらのメカニズムは仮説であり、厳密な因果関係が証明されているわけではありません。
とはいえ、無視できない関連性であることは確かでしょう。
危険をともなう肉体労働なら、妊娠をきっかけに出勤を控える妊婦さんも多いかもしれません。
しかし、一般的に見て美容師が危険という印象はありません。
そのため、妊娠のかなり後期まで仕事を続ける美容師さんもいるかもしれませんが、そうした人たちは少し注意した方がいい情報かもしれません。
参考文献
妊婦の職業上の化学物質ばく露と胎児死亡との関連について
元論文
Association between Maternal Exposure to Chemicals during Pregnancy and the Risk of Foetal Death: The Japan Environment and Children’s Study
提供元・ナゾロジー
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