あるTV番組で若いアナウンサーが、
子供が家庭で高齢者にうつして高齢者が死んでしまったら、それを一生背負わせるのは酷。だから子供にもワクチンを打てる選択肢が必要。
と言っていた。
また巷には、
「思いやりワクチン」
のような言葉も流布している。他者への思いやりがあるのならワクチンを打ちましょう、というキャンペーンだ。
こうした、「他者にうつさないためにも自分が感染しないように」という言説はTV・ネットなどメディアにあふれている。
確かにそれらの言説は一つの見方からの真実かもしれない。しかし、歴史や社会全体を俯瞰してみると、それらは真実のうちの一部でしかないことがわかる。
そもそも、「感染症は感染者のせい」と考えてしまうこと自体が非常に危険な発想なのだ。それをやりだしたら社会が壊れてしまう。
インフルエンザは毎年1千万人が感染して1万人の超過死亡が出る。これまで、インフルエンザ死の1万人に対してたとえ1件でも感染元を「犯人」と責め立てたことがあっただろうか。肺炎球菌は子供の約半数が保菌していて、毎年数万人の高齢者が死亡する。これまで、数万人の肺炎球菌性肺炎死に対してたとえ1人の子供でも感染源として責められたことがあっただろうか。
今まで社会はそんな判断を一切してこなかった。そんなことをしたら人間の健康と幸福から遠ざかってしまうからだ。毎年何万人も死んでいる諸々の感染症について、一つ一つに感染元・犯人を探すことが常となってしまうのなら、高齢者と子供は一年中全く接触できなくなってしまう。微小なリスクまでをゼロにしようとするのなら健康な大人同士の接触も出来なくなってしまうだろう。人間社会は決してそんな判断をするべきではないのだ。
感染症は、個人のせいに‥ましてや子供のせいにしてはいけない。
感染症は社会全体で対処すべきで、だからこそ欧米は一時的にロックダウンし、そして今できるだけ正常に戻ろうとしているのだ。
繰り返すが、インフルエンザは年間1万人、肺炎では年間10万人が死亡している。人の死を〇万人と数字で語ってしまうことはとても悲しいことだ。しかし、我々は意図しようがしまいが、これまでそれを許容して社会を営んできたのだ。交通事故の死亡は毎年3〜5千人にものぼる。自動車さえこの世になければ全員の命が救えたはずだ。全員が今でも元気に行きていたはずだ。しかし我々は決してその選択肢をとってこなかったし、国民全員が平気で自動車に乗っている。
いま、コロナ死が2年で1.8万人。しかもその殆どが高齢者、健康な若者の死亡例は実質ゼロだ。どうして社会全体が恐怖に包まれ、国民同士の接触を絶って、自殺を増やさなければいけないのだろう。欧米の莫大な被害に引きずられてしまっただけなのではないだろうか。
仮に「今の新型コロナへの過剰な感染対策が妥当だ」と言うのなら、なぜ莫大な被害を出していたインフルエンザや肺炎に対し我々は同じ対策を取ってこなかったのか、なぜ専門家はそれをスルーしてきたのか、なぜその当時は医療崩壊しなかったのに今は医療崩壊するから国民は行動制限しなければならないのか。あまりにもダブルスタンダードなのである。
社会全体がこうした不都合で不合理な状況のなかで、いま我々は、
・リスクが殆どない子供を対象に
・接種後の死亡が複数確認されていてその副作用の全容がわからない新しいワクチンを
・健常児含め全員に無料で投与
しようとしている。
とても同意できないし、圧倒的にバランスが悪いとしか言いようがない。
文・森田 洋之/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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