「うなぎの蒲焼」と言えばたいそうな御馳走だ。その御馳走の缶詰があるのをご存知だろうか?この『うなぎ蒲焼の缶詰』を作っているのが、うなぎ養殖発祥の地とされる静岡県浜名湖に接する浜松市にある昭和9年操業の浜名湖食品だ。長年の品質へのこだわりと唯一無二の味が懐かしい形の缶詰に詰め込まれている。そのストーリーにぜひふれてほしい。

スーパーの棚でひと際目立った懐かしい形のリアル缶詰

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伊豆のスーパーで売られていた価格は激安だった。通販などでは1缶1300円前後。(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

静岡県東部をメインに展開する『フードストアあおき』の西伊豆店に行った時のこと。店の奥に「静岡のお土産コーナー」が設けられていたので、何気なく眺めていた。すると、妙に気にかかる缶詰が目に飛び込んできた。かつてはよく目にしていた、角が丸い長方形で平たい缶。そう、それは確か「サンマの蒲焼」だった気がする。

「懐かしいな~」

そう思い手にとって見ると、サンマではなく『うなぎの蒲焼』と印刷されている。「うなぎも缶詰があったのか!」と、うなぎが大好物の私は、一も二もなく購入した。値段は800円ぐらいだったと記憶している。レトルトパックよりも保存がきくので、とりあえず3缶ゲットしたのである。

翌日、さっそく鰻丼を楽しむことに。食べ方はいたってシンプル。缶切りで蓋を開ければ、そのままでも食せるのだ。これはキャンプの際や災害時の非常食には有り難い存在だろう。でも熱々のうなぎの方がウンまいことは間違いない。そう思ったので、迷わず沸騰させたお湯を鍋に用意し、その中に缶詰を投入。2分ほど湯煎し、ヤケドに注意しつつ缶の蓋を開けた。香ばしい香りとともに、中からは丁寧に紙に包まれたうなぎ蒲焼が現れる。
 

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熱湯で2分程度湯煎する。(画像=男の隠れ家デジタルより引用)
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ヤケドに注意しつつ缶切りで蓋をオープン。パラフィン紙に包まれた蒲焼と対面の瞬間。(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

さっそくご飯の上に載せ、豪華うな丼を堪能することに。甘さ控えめのタレが、うなぎの身の中にまで染み込んでいて、しっかり蒲焼している。食感はちょっと柔らかめだが、口に含んだ瞬間、フワリとろけて至福の境地に誘われてしまう。これは江戸前風か? それとも地元風なのか? そんな事は食べているうちにどうでもよくなった。旨いものに地域は関係ないのだ。味がしっかりしているので、卵でとじてうな玉丼にするのもいいかも知れない。次は試してみよう。

このいかにも“昭和感”溢れる缶詰、一体どんな所で作られているのか、気になって仕方がなくなった。というワケで、缶に印刷されている「浜名湖食品」へ向かったのである。
 

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使用したのは小ぶりの丼だが、予想外にボリュームたっぷりの蒲焼に驚かされた。(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

昭和初期に誕生し、戦災をくぐり抜け今もこだわりの味を守り続ける

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東海道本線の舞阪駅のすぐ前にある浜名湖食品株式会社。(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

「創業は昭和9年(1934)です。浜名湖はうなぎ養殖発祥の地ですが、昭和の初め頃は過剰生産になると、余ったうなぎをどうすることもできませんでした。今のように簡単に冷凍や真空パックにすることは不可能です。うなぎ屋さんも余分には引き取ってくれません。そこで養鰻家たちが集まり、自分たちで商品化を考えたのが始まりです」と、浜名湖食品株式会社常務取締役の灰本修司さん。
 

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お話を伺った常務取締役の灰本さん。(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

かくして誕生したのが、この『うなぎ蒲焼』の缶詰なのだ。発売当初はご飯とうなぎが入った『うなぎ弁当の缶詰』だった。やがて今と同じく、ひとつずつパラフィン紙に包まれた蒲焼だけの缶詰となる。添加物を一切使用せず、タレは醤油と味醂と砂糖だけ。今も旨味が詰まったタレを継ぎ足しつつ使用。

しかも、うなぎの品質やその日の天候に合わせ、配合を微妙に変えるキメ細かな作業を施している。オートメーションとはほど遠い、長年稼働している機器と熟練した職人技があるからこそ実現する、唯一無二の味なのである。内容量は固形分が90g、タレ等を含めると100gもある。これは先の写真を見てもらえばわかる通り、丼が一杯になる大きさだ。

この缶詰が誕生した時代は、世界中が戦争へと向かっていた。軍人の戦意高揚のために、さまざまな食料品が生産されていた。缶詰は輸送が簡単で、しかも日持ちするので重宝されたのだ。うなぎの蒲焼はご馳走中のご馳走。苛酷な勤務を強いられた潜水艦には、とくに多く積まれていたという逸話も残されている。

それと無類のうなぎ好きだった歌人の斎藤茂吉は、まだあまり知られていなかった『うなぎの蒲焼』の缶詰に着目。戦争になると食べられなくなると考え、太平洋戦争開戦1年前の春、銀座のデパートで大量にこの缶詰を買い込んでいる。それを押し入れにしまい込んで、戦時中に食べていたことが、日記に残されているのだ。

そんな歴史ある缶詰だが、工場で今も稼働している缶詰の蓋を固定する巻締機(まきしめき)が故障してしまうと、存亡の危機に陥ってしまう。

「もうこの形の缶型は、日本国内ではウチを含め3~4社しか作っていないはずです。だから部品もないでしょう。もしも巻締機を新しくしようとすると、莫大なお金がかかってしまうのです」と、灰本さん。職人さんたちだけでなく、縁の下の力持ち的存在の機材にも、頑張ってもらわなければならないのだ。
 

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すでに40~50年は頑張ってくれているという巻締機。これが故障してしまうと、独特な形の缶の蓋を閉めることができなくなる。(画像=男の隠れ家デジタルより引用)
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(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

さらに112℃で75分行なう殺菌のために使用する加圧加熱機も、ここで使われているのは時代を感じさせる鋼製。しかもこれを製造している「東海汽罐」は、蒸気機関車のボイラーを製造していた会社でもある。今ではステンレス製が主流となっているのだが、ここにも昭和が息づいていて、昔懐かしい“味”を演出しているのだ。
 

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まさに蒸気機関車のボイラーを思い起こさせる加圧加熱機。(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

今時のフルオープンエンドの缶詰ではないから、缶切りは絶対不可欠。そして生産量は年間5万缶程度。ハワイの日系人たちの間では、正月には欠かせないご馳走とされている逸品。いつでも家に置いておけば、リッチな非常食になるし、とっておきの酒肴としても楽しめる。もちろん、王道のうな丼を楽しむのもいいだろう。缶詰という小さな世界に密封された歴史に彩られた味。ぜひとも堪能しておきたいものだ。
 

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(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

【問い合わせ先】
浜名湖食品株式会社 TEL:053-592-0141

取材・文/野田伊豆守(のだいずのかみ)
歴史、旅行、アウトドア、鉄道、オートバイなど幅広いジャンルに精通。主な著書として『太平洋戦争のすべて』、共著『密教の聖地 高野山』(以上三栄)、『東京の里山を遊ぶ』『旧街道を歩く』(以上交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)、など。

写真/金盛正樹

提供元・男の隠れ家デジタル

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