かつて夫の死後、岩村城を取り仕切ったという「おつやの方」にちなんで名付けられた銘酒「女城主」。今や岩村を象徴する酒として知られ、観光客からの人気も高い。天明7年から岩村醸造が玲瓏馥郁なる酒を醸し続ける理由を、七代目・渡會充晃さんに伺った。

冬の朝。酒蔵の前の通りはひっそりとしていた。木曽山脈の山懐に抱かれた古い城下町・岩村。日本三大山城のひとつ、岩村城跡の麓に東西1.3kmにわたって江戸時代からの古い町並みが続いている。その一角に佇むのが「岩村醸造」だ。江戸時代に建てられた酒蔵には創業240年の風格が漂っている。

玲瓏馥郁な酒を時代に即して進化させる七代目

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夕暮れに染まる岩村の街。本通りには商家が立ち並ぶ。(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

岩村醸造は天明7年(1787)の創業以来、玲瓏馥郁(れいろうふくいく)を信条に酒造りをしている。玲瓏とは透き通るように美しく輝く、馥郁とは良い香りが漂う酒の意である。

渡會さんは五代目の祖父・正一さんが毎晩晩酌する姿を見て育ち、小学生時代の作文で将来の夢を「跡継ぎ」と書いたとか。祖父は大手酒蔵に技術指導に行くような技術者。父・延彦さんは下戸。蔵の経営に没頭して大胆な設備投資を行ったという。

江戸時代から醸してきたのは「ゑなのほまれ」。やや甘口で地元を中心に愛されてきた酒だ。対して、30年前に町おこしの一環で誕生した「女城主」はやや辛口。両者ともに、目指す酒のベクトルには迷いがない。
 

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(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

それにしても、「女城主」という名は印象的だ。これは岩村城に嫁ぎ、夫の死後、城主となった織田信長の伯母・おつやの方にちなんでいる。やや辛口と先述したが、「辛さの中にも甘みをどう表現するかが肝」と渡會さん。大吟醸以外は岐阜の酒造好適米・ひだほまれを使っており、例えば+10の辛口純米は、ひだほまれが持つ甘さを感じさせつつ、トータルで辛口に造るという。

さて、七代目として切り盛りする渡會充晃さんだが、東京農業大学醸造学科在学中は、日本酒造りとは全く異なる場所にいた。なんとマウンテンバイクのレースに熱中していたのだという。しかし親戚に説得され、蔵に戻ったという経緯がある。

「酒造りが合わなかったら辞めるつもりでしたが、意外に面白かった。自分たちが一生懸命に造った酒が、消費者に飲まれ褒められる。いい仕事だと思いました。どちらかといえば僕は職人タイプで、酒蔵に籠って酒造りをするのは楽しかった。でも、六百石の酒を売りながら造るのは難しい。蔵の将来を考えて売り手に専念することを決意したのです」
 

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左が七代目の渡會充晃さん、右は杜氏の鈴木正人さん。(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

そういった経緯から現場は杜氏に任せているのだが、実は渡會さんは利き酒の名手としても活躍している。地元はもとより全国新酒鑑評会の審査員にもなったほど、繊細な味わいの差がわかる。「雑味はやはり雑味なんです。それを個性という人もいますが、僕は米を磨きに磨いてきれいな酒を造りたいんです」

まさに、玲瓏馥郁という理想が七代目にも受け継がれている。話を伺いながら「女城主」を飲んでみた。フルーティな香りで飲みやすく後味がすーっと爽やか。まさに玲瓏馥郁の酒だ。

「次の世代に伝統と文化を残しても、技術と素材は常に進化していかなくては。恵那の酒蔵でうちだけ生き残ったのは時代に合った造り方、売り方ができたからです」。利き酒の名手が蔵の経営と酒質の基本を見据え、信頼の厚い杜氏や蔵人がいる。この酒蔵の酒は進化を続けるはずだとインタビューを通じて確信した。

文/阿部文枝 写真/遠藤純

男の隠れ家デジタル編集部
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提供元・男の隠れ家デジタル

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