戦前・戦後を通じて昭和の庶民の娯楽だったラジオ。深夜放送や高音質のFM放送などでブームとなったが、テレビの普及とともに衰退していく。全盛期から衰退期を経て、今はインターネットでも聴けるようになり、再びブームとなっているラジオ放送の歴史について解説する。

目次

  • 昭和の娯楽。ラジオ放送開始から戦後までの歩みを知る
  • ラジオ全盛期から斜陽へ。そして再ブーム到来

    青春時代にラジオで聴いた曲やDJの声は心に残っているものだ。長らくテレビに押され気味だったラジオだが、インターネットの登場で再び注目されている。今回、改めてラジオの歴史をひも解いてみる。

    昭和の娯楽。ラジオ放送開始から戦後までの歩みを知る

    1900年に発明されたラジオは、1920年にアメリカで世界初の公共放送が開始され、大統領選挙の開票結果を伝えたという。では、日本のラジオ放送はいつ始まったのだろうか?

    世界初のラジオ放送後すぐに、日本各地で放送実験が行われるようになる。1923年に関東大震災が起こり、緊急の伝達手段としてラジオが必要とされたからだ。

    日本初のラジオ放送は1925年3月22日、東京・芝浦の仮放送所で開始された。ラジオの種類は探り式鉱石受信機。聴取者が鉱石の針先を電波の受信しやすい方角に向けて調整する仕組みだった。

    1926年に社団法人日本放送協会が設立されると、全国どこでもラジオが聴けるように整備が進んでいく。ラジオの仕組みも探り式鉱石から真空管式になり、音も大きく聴けるようになった。1930年代になると、ラジオの価格が下がり、品質も向上。1931年の満州事変後、政府も奨励したことからラジオの普及が拡大する。

    1950年から民間ラジオ放送も開始。1960年代に小型・軽量のトランジスタラジオが普及し、1人に1台の時代になる。このように、日本初の放送から1960年頃まで、ラジオは庶民の娯楽の主役だったのだ。

    ラジオ全盛期から斜陽へ。そして再ブーム到来

男の隠れ家デジタル
(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

冷蔵庫、洗濯機と並び「三種の神器」として登場したのが白黒テレビだ。テレビの普及後、退潮したラジオは2度のブームを経て、現在、再びブームを迎えている。

白黒テレビ登場時は、まだ高価だったこともあり、街頭テレビや、近所に購入した家があれば一緒に見させてもらう程度で、一般の家庭にはまだまだ普及していなかった。ところが、1959年の皇太子(現:上皇)ご成婚や1964年の東京オリンピックを境に状況は一変、テレビが一気に普及する。それと同時に、次第にラジオの存在は薄れていく。

こうして衰退していったラジオ文化だが、1960年代後半に入るとある転機を迎えた。1人で楽しめるラジオは、リスナー目線の深夜放送が人気を集め、1967年頃から受験生を中心にブームになったのだ。

さらに1970年頃には高音質のFM放送局が次々と誕生し、音楽中心の番組に人気が集まった。ラジオから流れる曲をカセットに録音するエアチェックがブームとなったのもこのころだ。

現在はインターネットラジオが登場し、海外の放送も気軽に聴けるようになった。放送局のサイトでネット配信も同時にスタートするようになったため、ラジオがなくても番組を聴くことが可能だ。この手軽さから現在も新たなリスナーを獲得し続けている。

テレビの普及により、低迷したラジオ放送もネットラジオで海外の番組を聴けるようになり、再びリスナーが拡大中だ。従来のアナログ放送とデジタルラジオが共存しながら、進化を続けている。災害のときや停電でも使用できるラジオは今後も必要とされるだろう。

男の隠れ家デジタル編集部
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提供元・男の隠れ家デジタル

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