大都市から地方の鉄道会社へ譲渡され、その後も活躍し続ける「昭和」生まれの列車たちを鉄道カメラマン・金盛正樹氏の思い出エピソードと共にご紹介。

【プロフィール】
金盛正樹(鉄道カメラマン)
鉄道カメラマンとして雑誌を中心に活躍。1967年に兵庫県で生まれ、中学生の頃に友人の誘いで鉄道写真を撮って以来、鉄道カメラマンを志すように。  

(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

鉄道会社間で引き継がれる懐かしい列車たち

電車の新車価格の相場は、通勤電車1両でおよそ1億円、特急電車で3億円ともいわれる。地方の鉄道会社への「譲渡」はいわば電車の「リサイクル」だ。

大都市で廃車となった車両が譲渡され、再生し、地方で再び活躍する。そのなかには「昭和」に誕生し、「平成」を越えて、やがて来る新しい「時代」へと受け継がれていくものも存在する。

鉄道カメラマンとして活躍する金盛氏が撮影した譲渡車両の写真を、その思い出と共にご紹介。コロナの状況にもよるが、気兼ねなくお出かけができるようになったら「昭和」の懐かしい電車に乗りに行こう!
 

(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

譲渡を紐解く4つのKEY

①電動車と付随車の組み替え
地方では大都市と比べて1編成の車両数が少なく、運転台のなかった電動車に運転台を設けるなどの大幅な改造が必要なこともある。

②電車の機器を改造する
電車のモーターや駆動方式、制御方式が異なる場合、譲渡先の電車に合わせた方式に改造し、連結を可能にする必要があることも。

③台車の交換
線路幅はJRや関東の私鉄では多くが1067mm、関西では1435mmを採用している。移籍先に合わせて台車を交換する必要がある。

④電圧方式の改造
路線によって電圧が異なる場合や集電方式が異なる場合があるため、集電装置や電気回路を交換する必要があることも。

いすみ鉄道キハ28・キハ52(JR→私鉄)

(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

昭和36年(1961)から大量製造されたキハ58系に属するキハ28。国鉄の非電化区間の急行用気動車として製造されたが、キハ28はエンジンを2基搭載していたキハ58系のエンジンを1基にしたもの。

キハ58系はそれまでの気動車より車体幅を広げ居住性を向上させたため車体の裾が狭まっているのが特徴。現在、いすみ鉄道を走るキハ28-2346は高山本線などを走ったあと、いすみ鉄道へ譲渡された。

いすみ鉄道では、朱色2号とクリーム4号のツートンカラーの国鉄色に塗装され、懐かしさを漂わせている。
 

国鉄時代の名残を感じるキハ52-125の車内。
(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

キハ52は昭和40年(1965)製でエンジンを2基搭載した勾配区間向けの気動車だ。車体長も普通の車両より1.3m長く、いすみ鉄道のキハ52-125はJR大糸線で使用されていた。いすみ鉄道入線後にクリームと朱色4号の国鉄色に塗装されたが、2014年(平成26)に朱色5号一色の「首都圏色」に変更されている。

金盛さんの「私の思い出」
特に2色塗りの方には、大学時代によく乗った。当時、幾度も通った山陰本線で、何両も連なって走っていた。

大原駅~上総中野駅(千葉県)
(元)国鉄・JR西日本キハ28・キハ52
製造年/昭和40(1965)年
譲渡年/平成23(2011)年

しなの鉄道115系(JR→私鉄)

(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

寒冷地区、急勾配路線での使用のため製造された115系は、昭和38年(1963)から昭和58年(1983)にかけて製造された。

長野新幹線の開業に伴い、JRの並行在来線区間を引き継いだ「しなの鉄道」は、この区間と共に115系の車両を引き継ぐ形となった。現時点ではJR東日本から譲渡された国鉄形115系のみであるが、老朽化のため年内には新型車両への置き換えが始まる予定だ。

真田の里を走る観光列車「ろくもん」は、真田氏の六文銭にちなんで付けられた。水戸岡鋭治氏によるデザインで、車内は床、椅子、テーブルなどに長野県産材を使用する。

金盛さんの「私の思い出」
10~20代の頃、18きっぷで湘南色(橙×緑)やスカ色(クリーム×青)の115系に各地で乗ったものだった。

軽井沢駅~長野駅(長野県)
(元)国鉄・JR東日本115系
製造年/昭和38年(1963)
譲渡年/平成9年(1997)

富士急行線6000系(JR→私鉄)

(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

国鉄205系は、本体にステンレスを用いることで大幅な軽量化を成功させ、省エネの制御方式によって、コスト削減を図った。

1990年代に入ると209系などが登場したため、平成17年(2005)に山手線から離脱、その後、中央・総武緩行線からも姿を消した。現在も首都圏では武蔵野線、南武線などでその姿を見ることができる。

現在「富士急行線」を走る6000系は、JR東日本・京葉線で活躍していた205系を改造したもので、平成24年(2012)に富士急行線に登場した。外観デザインは、水戸岡氏によるもので富士山をイメージしたブルーのラインが引かれる。

金盛さんの「私の思い出」
今では見慣れたステンレス製の銀色車体も、全塗装鋼製車ばかりの当時の国鉄ではとても斬新だった。

大月駅~河口湖駅(静岡県)
(元)JR東日本205系
製造年/昭和60年(1985)
譲渡年/平成24年(2012)

岳南電車7000形(大手私鉄→地方私鉄/東日本編)

(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

井の頭線の「顔」として長らく活躍してきた京王電鉄3000系は、京王電鉄初のオールステンレスカーとして昭和37年(1962)に登場し、その後、昭和63年(1988)まで長期にわたって製造された。平成23年(2011)に全車廃車となり、その一部が各地方私鉄へ譲渡された。

富士山の絶景が拝める鉄道として知られる「岳南鉄道」は、昭和11年(1936)に日産重工業専用鉄道として発足し、貨物輸送が盛んな鉄道であった。しかしその後、平成24年(2012)に貨物輸送を終了、現在は旅客運行だけとなっている。
 

(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

前頭部が朱色に塗装されており、「赤富士電車」の名で親しまれる7000形は、京王3000系を両運転台化したもの。1両編成で使用されており、岳南鉄道には現在計3両が在籍している。

金盛さんの「私の思い出」
譲渡時の改造で、「湘南顔」と呼ばれる二枚窓の昭和的な前面デザインとなったのがファン心をくすぐる。

吉原駅~岳南江尾駅(静岡県)
(元)京王電鉄3000系
製造年/昭和37年(1962)
譲渡年/平成8年(1996)

富山地方鉄道16010形(大手私鉄→地方私鉄/東日本編)

(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

レッドアローの愛称で知られる本車両は、西武鉄道の秩父線開業に伴い、秩父方面への観光需要を見込んで、西武初の特急車両として昭和44年(1969)に登場。長年西武鉄道の看板車両として使用されたが、後継の10000系の登場により、平成7年(1995)に全廃された。

「富山地方鉄道」では保有車両の冷房化率向上のため、平成7年(1995)から平成8年(1996)にかけて西武鉄道より本車両を導入。「うなづき号」「アルペン号」などの特急電車や、観光列車「アルプスエキスプレス」専用車両としても使用されている。
 

富山地方鉄道寺田駅のホームに停車する元レッドアロー号。
国鉄形特急にも似た色合いに懐かしさを覚える。
(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

金盛さんの「私の思い出」
関西出身の私には長らく本の中だけの存在だったレッドアロー。今もほぼ原色のまま走っているのが嬉しい。

電鉄富山駅~宇奈月温泉駅、電鉄富山駅~立山駅、宇奈月温泉駅~立山駅(富山県)
(元)西武鉄道5000系
製造年/昭和44年(1969)
譲渡年/平成7年(1995)

大井川鐵道7200系(大手私鉄→地方私鉄/東日本編)

(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

東急電鉄7200系は昭和42年(1967)から昭和47年(1972)にかけて東横線や目蒲線、大井町線に導入。

全長18mの小型車両は、小回りが効くため、東急全線で活躍した。オールステンレスの車体と「ダイヤモンドカット」と呼ばれる前面の「くの字」の傾斜が特徴的だ。

平成12年(2000)に東急電鉄により廃車、その後平成14年(2002)に青森県の「十和田観光電鉄」に移り、両運転台化された。平成24年(2012)十和田観光電鉄で廃止となり、平成27年(2015)から「大井川鐵道」へ。それぞれ単独で使用することが可能だが、現在2両編成で運行している。

金盛さんの「私の思い出」
前面の「ダイヤモンドカット」が都会的でかっこ良かった。東急時代の広告が吊り手に残っており、懐かしい。

金谷駅~千頭駅(静岡県)
(元)東急電鉄・十和田観光電鉄7200系
製造年/昭和43年(1968)
譲渡年/平成24年(2012)

熊本電気鉄道6000形(大手私鉄→地方私鉄/東日本編)

(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

都営地下鉄三田線は都営地下鉄では2番目に古い路線で、昭和43年(1968)に開業と共に導入された車両が東京都交通局6000形だ。

セミステンレスの全長20mの大型車両で、日本初の静止型インバータ(SIV)を搭載。後継の6300形の登場により、平成11年(1999)に引退した。

平成7年(1995)から「熊本電気鉄道」の老朽車両の取り替えに伴い、2両編成5本が譲渡された。軽量で高サスペンション効果がある世界初の「イーエフウィング台車」を採用。デザインは三田線で使用されていたものであるが、編成の帯色がそれぞれ異なるのが特徴的だ。

金盛さんの「私の思い出」
東京の地下鉄車両が熊本の地上を、それも路面電車みたいな軌道を走る姿は、どこか珍妙さを感じさせる。

上熊本駅~御代志駅、北熊本駅~藤崎宮前駅(熊本県)
(元)東京都交通局6000形
製造年/昭和43年(1968)
譲渡年/平成7年(1995)

大井川鐵道16000系(大手私鉄→地方私鉄/西日本編)

(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

近畿日本鉄道の狭軌路線である南大阪線、吉野線向けとして設計された最初の特急用車両で、昭和40年(1965)にデビュー。平成9年(1997)に後継の16400系が登場したため、廃車が発生しているが現在も近鉄の南大阪線で活躍している。

近鉄で廃車となった初期製造のもののうち、平成9年(1997)に第1編成、第2編成、平成14年(2002)に第3編成と、それぞれ2両編成の計3本が「大井川鐵道」に譲渡された。「特急」表示が「金谷ー千頭」の行き先表示に変更されたほか、外観や内装は近鉄時代のままで使用されており、当時の面影を色濃く残している。

金盛さんの「私の思い出」
支線用ながらも、1960年代に回転クロスシートを備えるなど、受け継いだ近鉄特急の血統に憧れた。

金谷駅~千頭駅(静岡県)
(元)近鉄16000系
製造年/昭和40(1965)年
譲渡年/平成14(2002)年

熊本電気鉄道200形(大手私鉄→地方私鉄/西日本編)

(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

南海電鉄22000系は、南海電鉄が南海高野線の山岳区間への直通運転のために製造した「ズームカー」の一系列で、昭和44年(1969)に登場した2両編成の車両だ。後継の2200系は現在も南海電鉄・高野線の山岳区間で活躍する。

平成10年(1998)に老朽化した車両の交換のため、南海電鉄より熊本電鉄へ譲渡された。熊本電鉄では道路との併用区間があるため、車両の前面床下に排障器を取り付けた。そのほか、客室ドアの増設や、ワンマン化に伴う改造が施されている。つり革は南海時代のものが使われており、「なんばCITY」の広告を見ることができる。

金盛さんの「私の思い出」
強面な印象だったが、熊電では前照灯位置が変更され、スカートが付けられて、愛嬌のある顔つきになった。

上熊本~御代志、北熊本駅~藤崎宮前駅(熊本県)
(元)南海22000系
製造年/昭和43年(1968)
譲渡年/平成27年(2015)

提供元・男の隠れ家デジタル

【関連記事】
好きな文字を彫刻して自分だけのオリジナルに。老舗時計メーカーとベテラン彫刻師が創る「PRINCE 銀無垢トノー型腕時計」
「青いオーシャンと乾いた風の中に身を置くことで、またここに帰ってこようと思える」| 吉田栄作
飲み屋で語れるお酒の雑学。~「焼酎」の甲類・乙類の違いとは?~
山登りを安全に楽しむため、登山の前には必ず提出すべき「登山届」について知ろう
庭園や文化財の書院と名物の湯豆腐を満喫 南禅寺 順正 〈左京区〉┃奥・京都の名店