(本記事は、岩下 智の著書『面白い!のつくり方』CCCメディアハウスの中から一部を抜粋・編集しています)

共感の反対「差別」

「共感」と対極を成すものは何かと考えたときに、単純に反対語でいうと「反感」ということになります。しかし、反感という言葉から連想される印象に、面白さがあるようには思えません。

そこで、「共感による面白さ」を「自分と『同質』であることに感じる面白さ」と考えてみると、その反対は「自分と『異質』であることに感じる面白さ」ということになります。これを言葉で表すとすると、それは実は「差別」という言葉で表現できるのではないかと、私は考えています。

ここでいう「差別」とは、ある対象に対して「(自分とは違って)様子がおかしい」とか「(自分とは違って)滑稽である」とか「(自分とは違って)ヘンテコである」というように感じるものを指します。前述の辞書からの引用によれば、(3)の「こっけいだ。おかしい。」という意味が、これに当てはまります。ここで、「差別」という言葉の意味についても調べてみましょう。

[差別]
(1) ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。「いづれを択ぶとも、さしたる―なし/十和田湖桂月」
(2) 偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。「人種―」「―待遇」
     *『大辞林 第三版』より

本来の意味を見てみると、差別とは「差をつけて区別すること」とあります。これがまさに「差別」と「区別」の違いです。単純に分けるだけなら「区別」なのですが、そこに「差」をつけると「差別」になるということです。つまり、自分とは異なるものに対して、「差」を感じるから「差別」になるわけです。

とりわけ、この差を人に当てはめて「自分が上で相手が下」という風に感じてしまうと、(2)の「人種差別」などのような、いわゆる「差別行為」につながってしまうのです。

(1)のような意味においての「差別」が原義だとするならば、「差別」という言葉自体には、実はそれほど悪い意味があるわけではないことがわかります。

例えば、もぎたてのリンゴが目の前にたくさんあるとしましょう。単純にそれを仕分けするだけなら「区別」なのですが、それを一級品と二級品に分けると「差別」になる、ということです。しかし、一般的にはそれを人に当てはめたものを単純に「差別」と呼ぶことが多いので、「差別=悪」というイメージが先行してしまっているのだと考えられます。

(画像=面白い!のつくり方,ZUU online libraryより引用)

 

言葉というものは、世の中で実際に使われる用途や頻度によって、バイアスがかかった状態で定着してしまうものです。ここでは「面白さ」を分類する上で、「差別」という言葉がいちばん的確な表現だと考えているので、あえて用いています。決して(2)の意味のような「差別行為」を肯定するものではありません。

また、(1)の意味からすると、通常とは逆に「自分が下、相手が上」という風に差をつけて区別することもまた「差別」である、ということになります。わかりやすい例でいうと、いわゆる「自虐」というものが、これに当たるのではないでしょうか。自分を虐げることで見る人と差をつけ、それによって「差別的な面白さ」を引き出しているのです。

そう考えると、例えばSNSなどで自虐的な投稿がウケたりするのも、ここでの分類でいう「差別」的な面白さによるものなのかもしれません。自分を一段下に貶めることで「自分を差別」しているのです。

対人コミュニケーションの関係性で考えると、相手に対して「差をつけて見る」ことが「差別」であるとした場合、相手に対して自分と「同等に見る」ことが「共感」であると考えられます。「自分を下に下げる」=「自虐」と合わせて考えてみると、次の図のような関係性が見えてきます。

(画像=面白い!のつくり方,ZUU online libraryより引用)

 

ところで、「変な顔」や「変な動き」、「変な言葉」といった表現は、笑いの基本であると言われています。こうした表現も、自らすすんで演じているのであれば、それはある意味で「自虐」と言えるでしょう。そういう意味で、これらも大きくは「自分を貶めることによる『差別』的な面白さ」であると考えられます。

これは、パッと見た印象で直感的に「面白い」と感じてしまうような、少し子どもっぽい単純な面白さです。子どもにとっては、ある意味「テッパン」であると言えるでしょう。

子どもは純粋であるからこそ、自分とはちょっと違う「ヘンテコ」な見た目のものに直感的に面白さを感じるのでしょう。そして、それを今度は自分でも演じてみて、それがウケたら味をしめ、何回も同じことを繰り返すのです。

「笑いとは差別である」とは、かの中島らも氏の名言だそうです。それは「自分と比べて差があるものに対して、おかしさ(=面白さ)を感じる」ということが根本にあるのではないかと考えられます。倫理的な良し悪しはあるにせよ、こうした感覚はおそらく人間が本質的に持っているものなのでしょう。それを高度な笑いに昇華できるか、逆に「差別表現」になってしまうのかということは、紙一重なのです。

そう考えると、世の中のいわゆる「差別行為」と呼ばれるものも、「自分と比べて差があるものに対して、おかしさを感じてしまう」ということが、ひとつの原因になっているのではないかと考えられます。ことによっては、そうした意識が「いじめ」などにもつながっているのかもしれません。

単純に様子が「ヘンテコ」であることを表現の要素として用いるだけなら、さほど問題はありません。例えば、街で見つけたヘンテコな植物だとか、ヘンテコな看板、ヘンテコな雲などを、面白がって写真に撮ってSNSにアップしたところで、それを「差別だ」と言われることはほとんどないでしょう。

しかし、そうした「ヘンテコなもの」に対して「面白い」と思うことも、実は「自分の感覚と比べて何か変である」という「差別心」からくるものに違いないのです。しかし、それが誰か特定の人物やその様子を想起させる可能性があると、いわゆる「差別表現」につながってしまう恐れがあるのです。

例えば、ヘンテコな植物が誰か特定の人物に似ているとか、ヘンテコな看板に描かれているイラストが人種差別を助長するように見えるとか、そういったことです。自分に差別をする意図がなかったとしても、気をつけなければいけません。「無自覚な差別表現」が最も危険なのです。自分の表現したものが「共感」ではなく「差別」に近いものだと感じた場合は、そのポイントがどこにあるのか、冷静に分析した方がいいでしょう。

もちろん、この「差別」をうまく利用した面白い表現もたくさんあります。例えば「サーカスのピエロ」が、その典型的な例です。ピエロは古くからある表現ですが、そもそも滑稽な格好や行動で人を笑わせることを目的としたものです。まだ「差別」という考え方がそれほど問題とされなかった時代から存在していて、現代ではもはや定番となっているからこそ、成立しているのかもしれません。

ピエロという表現の優れた点は、厚い化粧をすることで「人間味」や「個性」を消し去っている所です。誰が見ても明らかに普通の人間とは異なった「道化」を演じているように見えるので、その様子を見てゲラゲラ笑っても、正直あまり罪悪感を感じません。この化粧や衣装も、演技を面白く見せるための小道具なのでしょうが、ある種「この人はいま普通の人間とは違う存在ですよ」というサインのようにも感じられます。

誤解を恐れずに言うならば、サーカスというもの自体が「差別的な面白さ」をエンターテイメントや芸術の域にまで昇華したものであるとも言えるのかもしれません。その華麗な曲芸や、人間業とは思えない離れ業は、日常生活とは明らかにかけ離れた「面白い表現」です。誰が見ても「すごい!」「面白い!」と思えるような、自分の目線よりも上に感じられる「差異」が、そこにはあります。

これは「差別」といっても、自分から見て明らかに別次元のものに感じられるような「差別」です。言葉の上では、こうした「相手を自分より上に見る差別」というものも存在するのです。これを「ポジティブな差別」と、ここでは命名したいと思います。そして、その反対は「相手を自分より下に見る差別」すなわち「ネガティブな差別」ということになります。いわゆる「差別表現」が、これに当てはまります。

自分を基準としたときに、「自分より上に差別する」場合と「自分より下に差別する」場合とでは、同じ「差別」でも意味合いが全く異なるのです。これはあくまでも個人的な見解なのですが、整理すると次頁の図のようなことなのではないかと考えています。先ほどの対人関係の場合と構造は似ていますが、ここでは相手は人間だけではなく、何らかの「表現の対象物」と考えた場合のイメージです。

(画像=面白い!のつくり方,ZUU online libraryより引用)

 

「ポジティブな差別」などというややこしい言い方は、私がいまここで勝手に名付けてしまったものですが、別の言葉で言うなら、ニュアンスとしては「尊敬」や「感心」などが近いかもしれません。まさに、いわゆる「差別行為(=ネガティブな差別)」とは真逆のものです。しかし、「差別」という言葉の持つ元々の意味が「差をつけて区別する」ということだとするならば、こうした解釈もできるはずなのです。

この節の冒頭で「自分と『同質』であることに感じる面白さ=『共感』による面白さ」、「自分と『異質』であることに感じる面白さ=『差別』による面白さ」という風に整理をしました。こうして見てみると、「共感」と「差別」の違いというのは、自分を基準とした「目線の違い」にすぎないということがわかります。

そして、同じ対象に対してでも、人によって「目線」が異なります。だから、自分では「共感」できる表現が、相手にとっては「差別」の対象になってしまうこともあるのです。

さて、ここまで見てきた「共感」と「差別」を、面白さの「感じ方」を大別する二極として「面白さの地図」に描いてみましょう。地図といっても、ゆるいベン図のようなイメージです。先ほどのマップ上の「面白い」の丸の上の方に「共感」を、下の方に「差別」を、それぞれ丸い囲みとして描いてみます。

(画像=面白い!のつくり方,ZUU online libraryより引用)

 

このとき「共感」にも「差別」にも、少し「面白い」からはみ出した部分があった方がいいでしょう。これはいうまでもなく「面白くない共感」も「面白くない差別」も存在するためです。また、「共感」と「差別」が重なっている部分もあった方がいいでしょう。

矛盾するようではありますが「共感できる差別的な面白さ」というものもあるからです。

それは、例えば「誰もが知っている滑稽でヘンテコなもの」などのことで、先ほどの「ピエロ」もそれにあたります。「共感」と「差別」は相反するものではありますが、表現においては、ほんの紙一重の差なのかもしれません。

(画像=ZUU online libraryより引用)

 

岩下 智(いわした・さとる)
1979年東京生まれ。筑波大学芸術専門学群視覚伝達デザイン専攻を卒業後、2002年電通に入社。以来、アートディレクターとしてグラフィック広告のみならず、TVCM、Webサイト、アプリ開発、プロダクトデザイン、サービスデザイン、ゲームデザインなど様々な仕事に携わりながら、自らイラストやマンガも描く。
主な仕事に「Honda FIT」「KIRIN のどごし夢のドリーム」「bayfm SAZAE RADIO」など。国内・海外の広告賞受賞多数。筑波大学非常勤講師。著書に「EXPERIENCE DESIGN」「IDEATION FACTORY」(どちらも共著/中国伝媒大学出版社)。
https://s-iwashita.myportfolio.com

提供元・ZUU online library

 

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