「がん」という病気は細胞分裂時のコピーエラーによって発生します。

このため普通に考えれば、細胞の数が多くて、長寿の生き物はがんになりやすいはずです。

ところがクジラのような大きな生き物は、ほとんどがんにかかりません。

2月24日に科学雑誌『Proceedings of the Royal Society』に掲載された新しい研究は、この理由を明らかにするべくクジラの遺伝子調査を行い、クジラ類が他の哺乳類と比較して特定のがん抑制遺伝子(TSG)の代謝回転率が2.4倍も高くなっているという事実を報告しています。

代謝回転率が高いというのは、進化の速度と関連しています。

クジラのがんを抑制する独自の進化の証拠は、人間のがん治療の研究にも役立つ可能性があります。

目次
大きな生き物のがん発症リスクが低い「ピートのパラドックス」
クジラが獲得した独自の進化

大きな生き物のがん発症リスクが低い「ピートのパラドックス」

細胞をたくさん持つクジラが「がん」にならない理由を解明! 人間の治療にも役立つ発見
(画像=がんは細胞分裂の際に起こるコピーエラーが原因。 / Credit:canva、『ナゾロジー』より引用)

がんは細胞のコピーエラーから起こっています。

このため、細胞分裂の機会が増えれば、その分がんになるリスクも増加することになります。

実際、同じ種の中で比較した場合、身長の高さ(体の大きさ)とがんの発生率は関連性があることが示されています。

そうなるとマウスと人間、あるいは人間とゾウやクジラを比較した場合、細胞数の多い体の大きな生き物ほどがんのリスクが高くなるはずです。

科学者の中には、「クジラは生まれたときからがんにかかってしまい、存在することさえできないはずだ」とジョークを飛ばす人もいるくらいです。

ところが実際のところ、クジラはほとんどがんにかかりません。それ以外でもネズミに比べて人間ががんになりやすいということもなく、ゾウにおいても同様です。

細胞をたくさん持つクジラが「がん」にならない理由を解明! 人間の治療にも役立つ発見
(画像=なぜかネズミよりゾウのほうががんになりやすいという事実はない。 / Credit:canva、『ナゾロジー』より引用)

種を超えた場合、体の大きさとがんの発症リスクの関連性は失われてしまうのです。

この問題は1977年に統計学者であり疫学者であるリチャード・ピートによって指摘され、以来「ピートのパラドックス」と呼ばれています。

ではこの矛盾を生み出す原因はなんなのでしょうか?

クジラが獲得した独自の進化

誰もが知る通り、クジラは地球で最大の生き物で、さらに非常に長寿です。クジラは100年以上の寿命を持つ種があり、ホッキョククジラに至っては200歳を超えます。

当然、長寿のクジラ種は危険な病原体にさらされる機会も多かったでしょう。

そうなると、クジラはこれらの病気から自身を保護するための遺伝子を強化させるように進化していった可能性が高くなります。

がんについても、人間と比較して彼らが体を巨大化させるとともに、がんになりづらい進化を遂げたためだと考えられます。

そこで、研究チームは、2系統のクジラ種、ヒゲクジラとハククジラの遺伝子をDNAシークエンシング(遺伝子の塩基配列を決定する解析)を使って、クジラの持つ1077のがん抑制遺伝子(TSG)を調査しました。

さらにクジラだけでなく、人間を含む15種類の哺乳類についても同様の調査を行いました。

ここで着目されている、がん抑制遺伝子とは細胞のDNAに異常を感知すると、そのDNAの修復をしたり、またはアポトーシス(細胞の自殺)を誘導してがん化を防ぐように働く遺伝子のことです。

細胞をたくさん持つクジラが「がん」にならない理由を解明! 人間の治療にも役立つ発見
(画像=がん抑制遺伝子の働き。 / Credit:国立がんセンター、『ナゾロジー』より引用)

結果、研究チームはクジラの複製された71のがん抑制遺伝子を特定し、このうち11個が、より長い寿命と強く相関しているという事実を突き止めました。

これらの遺伝子は、他の哺乳類と比べて2.4倍も早い代謝回転率を持っていたのです。

代謝回転率が高いということは、これらの形質の進化と関連づいていることを示唆しています。

特定された遺伝子の1つは「CXCR2」と呼ばれるもので、これは、免疫機能、DNA損傷、腫瘍の広がりを調節する機能を持っています。

ヒゲクジラでは特にこのがん抑制遺伝を多く持っていました。

200年生きるホッキョククジラでは、この遺伝子数がもっとも多く、逆にバンドウイルカなどはずっと数が少なく、彼らのがん発症リスクが高いことと相関していました。

細胞をたくさん持つクジラが「がん」にならない理由を解明! 人間の治療にも役立つ発見
(画像=今回の研究では、イルカのがん発症リスクは高いことが明らかになった。 / Credit:canva、『ナゾロジー』より引用)

クジラ類が特定のがん抑制遺伝子のコピー数を増加させているという事実は、彼らをがんや老化関連疾患の発症から保護している可能性があります。

この発見を利用すれば、人間の健康や長寿にも役立てることができると考えられます。

これは別にクジラの遺伝子を人間に取り込んで、がん耐性のある人間を造ろうとかそういう話ではありません。

今回発見されたがん抑制遺伝子をもっと良く研究し、それが果たしている役割や機能の仕方を理解することで、いずれ人間のがん治療薬の制作に役立てられるかもしれない、ということです。

大きく長寿な生物は、何かしらの進化的成功を収めたことで、その強靭な肉体を手にしたのでしょう。

その秘密を理解することで、医療の世界はより強力ながん治療方法を手にできるようになるかもしれません。


参考文献

WHY DON’T WHALES GET CANCER?

元論文

Positive selection and gene duplications in tumour suppressor genes reveal clues about how cetaceans resist cancer


提供元・ナゾロジー

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