三角縁神獣鏡は国産鏡であり、4世紀にヤマト王権が中国鏡だと偽装した鏡なのではないでしょうか。
ヤマト王権に卑弥呼の記憶が残っていない
『日本書紀』などヤマト王権の正統性を語る文献に卑弥呼は登場しません。両者の断絶を示唆します。
常識的に3世紀に西日本全体で共立はない
僕は古代の交通インフラに詳しいわけではありませんが、3世紀に西日本全体で倭国乱があり、諸国間の合意で卑弥呼が共立されたとか、大和の勢力が九州北部に出先機関を置いて統治したなどということは信じられません。ヤマト王権が九州を統治するようになるのは6世紀初めの磐井の乱の後からとされています。
纒向が卑弥呼の都だとする説は、卑弥呼と対立した狗奴国の候補を尾張、駿河、毛野などとするようです。卑弥呼は中国に支援を求めています。近畿以東の戦乱のために中国に支援を求めるということがあるでしょうか。
纒向は誇大に紹介されることが多いです。3世紀の纒向の実態は、もう少し冷静に語られるべきだと思います。
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浦野 文孝 千葉市在住、古代史に関心のある一般市民。