箸墓古墳は卑弥呼の墓と言われることがあります。箸墓の3世紀中頃には主に3つの根拠(中国鏡、三角縁神獣鏡、国立歴史民俗博物館の炭素14年代)が出されていますが、僕が検証したところ、いずれも不十分であることがわかりました。僕が歴博とは別のモデルを組み、炭素14年代で推定したところ、箸墓は300年前後になりました。

根拠が不確かなまま、メディアなどで「卑弥呼の墓」という枕詞が使われていることが問題です。箸墓の実年代についても僕のnoteで詳しく紹介しています。

箸墓古墳の実年代:3世紀中頃に根拠はない|浦野文孝|note
○箸墓[はしはか]古墳は3世紀中頃につくられ、卑弥呼の墓だと言われることがあります。しかし、その根拠は意外と知られていません。箸墓古墳の3世紀中頃には、主に3つの説(土器と中国鏡、三角縁神獣鏡、歴博の炭素14年代)が出されています。その根拠をまとめて検証しました。 ○その結果、3つの説はいずれも不十分で、箸墓古墳の3世...

箸墓古墳(2024年10月、筆者撮影)

三角縁神獣鏡は下位の鏡

三角縁神獣鏡は中国から卑弥呼に贈られた「銅鏡百枚」だとされることがありますが、僕は疑問です。三角縁神獣鏡の出現が年代的に会わないこと、三角縁神獣鏡は下位の鏡だと考えられることが理由です。

纒向のホケノ山古墳には、中国で230~250年に製作されたと推定される画文帯神獣鏡が副葬されました。日本列島に流入し副葬されるまでの期間は特定できませんが、それを足し合わせると、ホケノ山の年代は250年以降を見込むのが適切です。ホケノ山に三角縁神獣鏡の副葬はなく、三角縁神獣鏡の出現は250年以降であることを示します。

黒塚古墳(天理市)では三角縁神獣鏡33面が出土しましたが、すべて棺外でした。棺内の頭部近くに画文帯神獣鏡1面が置かれていました。三角縁神獣鏡は下位の鏡だったことを示します。