コントは29歳の時に、ルーブル博物館に近いセーヌ川のポン・デ・ザール(芸術の橋)から飛び込み自殺を図ったが、運よく川岸を通りかかった近衛士官が川に飛び込んで助けたというエピソードを思い出しながら、1時間くらいポン・デ・ザールの中ほどに置いてある椅子に座っていたこともある。
何しろこの飛び込み自殺が成功すれば、それから15年後の『実証哲学講義』(1930-1942)も17年後の『実証精神論』(1844)も出なかった。そうすれば、「社会学」という名称もコントからは生まれなかった。その意味でもわれわれ社会学を生業にしてきたものには恩人なのである。
凱旋門、サクレクール寺院、ムーランルージュなど観光
もちろんせっかくのパリ滞在一週間なので、日にちを決めて有名な施設も見物した。フランス革命中にギロチンが設けられていたコンコルド広場、革命当初に襲撃されたバスチーユ牢獄があった広場、ルーブル美術館とオルセー美術館などはくり返し出かけた。
また、パリから特急で北に1時間半ほど行くと、ジャンヌ・ダルクが火刑に処された広場が残っているので、半日かけてそこを尋ねた。さらにバスで片道4時間かけてモン・サン=ミシェルにも日帰り往復した。
ソーシャル・キャピタルの有効性
さて、本書では1990年代半ば以降、多方面での活用が進んだソーシャル・キャピタルの概念の有効性をチェックすることをねらった。なぜなら、それはまるで1970年代の日本におけるコミュニティの浸透力に勝るとも劣らないからであった。
従来は社会関係(social relation)と表現してきた概念を社会関係資本(social capital)と言い換えると、それほど有益なのかという根本的な疑問をいだいていたからである。
パットナム『孤独なボーリング』から
これはパットナムの『孤独なボーリング』の刊行がきっかけであるが、確かにその刊行前と後では間違いなく学術的認識面でも政策面でも変化が大きかった。