ただし、調査が終了してそのまま放置しておくと、その調査プロジェクトへの熱意も下がるので、データクリーニングが終わり、SASやSPSSが動かせる状態になった時に一気にやらないと分析が捗らない。これは北大20年間の経験則であり、このサバイバル期間をデータ分析に使ったのである。
鹿児島市や宜野湾市そして伊達市というように対象地のデータベースを選び、毎朝アクセスして、集計・分析を行う日々が2か月ほど続いた。
パリに出かけるようになった
さらに数年前から「少子化」の資料収集のために、夏休みにパリに出かけて、市役所からの公的な資料、日本では輸入されていないフランス語の関連書籍を購入していた。
当初は北海道庁国際課にお願いして、北海道出身者からなるパリ在住の「北海道民の会」を紹介していただいたところから、パリ調査旅行は始まった。
パリの「北海道民の会」に協力していただいた
この団体は北海道出身者でパリに住んでおられる方々の集まりなのであるが、しっかりした組織をもち、メンバー同士親しく付き合いをされており、道庁国際課の紹介ということでも大変お世話になった。
それに先駆けて1年前から、学部時代の第二外国語であったフランス語の初級文法の独習を少しずつ行っていた。会話はできなかったが、少なくとも地下鉄やバスの行先、本のタイトル、道路標識や店の看板は必ず読めるようにしておくつもりでの復習であったが、この判断は成功したと考えている。
コント銅像に初対面
そして、調査の合間には社会学の祖であるソルボンヌ広場のコントの銅像を見て、コントが晩年住んでいたアパート、コント通りなどを歩き回った。これには清水幾太郎の名著『オーギュスト・コント』(1978)を必ずバッグに入れていた。現地でこの本を読むと、内容が頭にしみこむような気がした。

ソルボンヌ広場のコント像 筆者撮影

オーギュスト・コント通りのプレート 筆者撮影 (注)哲学者・数学者と表記してある