それでほんとうに、いいんだろうか。

「よくない!」と断言する自信があるかというと、実は、ない(苦笑)。だけど「戦後」という過去の振り返り方には、いまあるぼくたちの現状の由来を探り、違う可能性に気づかせてくれるというくらいの意味なら、今日もあると思っている。

今週発売の『表現者クライテリオン』5月号が、特別寄稿の形で、来月5/15に出る拙著『江藤淳と加藤典洋』の一部を、先行公開してくれた。題して、「「政権交代」への文学 椎名麟三に読む「対米自立と中道連立」」。

大好きな椎名麟三の小説『永遠なる序章』(1948年6月)を読み解く形で、ほんとうに「戦後史」には、いまに続くような道しかなかったのか。最初は別のコースがあり得て、それを同時代の日本人も支持していたのが、途中で見失われて今日に至るのでは? という問いを、考えている。

『永遠なる序章』が出たのは、太宰治が自殺する月である。椎名は戦前に投獄され、転向した元共産党員だが、戦後に注目されてからはむしろ、軍国主義を信じたがゆえに時代の転換に悩む、元皇国青年からも慕われていた。後の三島由紀夫よりも、よっぽどガチな右翼と対話していたのだ。

そうして書かれた作品から、いまどんなメッセージを受けとることが、できるだろうか。

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前にも書いたことがあるけど、うつから回復する際に共感を持って読んで以来、椎名麟三という作家が好きである。いま読む人はそう多くないが、敗戦直後の焼け跡の日本で、実存主義の旗手とされた人だ。
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今回、雑誌への転載にあたって附した、その意義を説く序文を以下に掲げる(拙著には入らない)。同誌を手に取り、「戦後」にまだできることを考えてくれる人がいるなら、とても嬉しい。