私は、国際的な標準的な立場を打ち出して、A級戦犯合祀だけは引っかかるが、それ以外のことは日本がやっている事はちゃんとしていると打ち出したら、実は海外もほとんど納得してくれた。のみならず、国内の右派・左派もほぼ納得してくれた。内外の歴史論争にかなりの程度ピリオドを打てたのではないかと思っている。 (中 略) 前のような村山談話、あるいは戦後60年の小泉談話、戦後70年の安倍談話のような、日本の過去を振り返って今後どうする、という談話はもういらないと思う。

――戦後70年談話で「謝罪外交」には区切りをつけたということか?

一つの区切りはついた。これを下手に“寝た子を起こすようなこと”になることはやめてほしいと私は思っている。

4頁および6頁 強調は引用者

賛否は別にして、ものすごい自信である。10年前の安倍談話で、戦争責任や歴史認識をめぐる問題は「解決した」というわけだ。含意をより敷衍するなら、もはやかつての戦争に起因する諸問題は「存在しない」ので、そもそも今年は戦後80年ではない、とさえ言えるのかもしれない。

不思議なのは、当時もし安倍さんが「歴史論争は決着です」などと発言したら、うおおおアベ政治を許さない、もっと戦争の反省が必要! と大騒ぎしたはずの歴史学者のみなさんが、いまダンマリなことである。え、そうなの? じゃあ「安保法制で戦前に戻る」とかは、なんだったの?(笑)

……ちなみに、ぼくも安倍談話は歴史問題を終わらせたと思うが、理由は違う。誤りのない内容によって、正攻法で問題を「解決」したというよりも、歴史自体をもう別のものに変えてしまって、単に問題を「解消」したのだ。