心理学的ストレスと心理学的ひずみ

ここで力学における応力-ひずみ関係を心理学的なストレス-ひずみ関係のコンテクストに置き換えてジャニーズ性加害について論じていきます。

ジャニー喜多川氏による性加害の被害者は【発達心理学 developmental psychology】でいう【児童期後期 late childhood】から【青年期 adolescence】に移行する年頃であるアーリーティーンズからミッドティーンズの男子です。第二次性徴が始まるこの時期は、男女を問わず「自分とは何であるか」を悩む【アイデンティティ・クライシス identity crisis】が発生し、これを問い直すことによって【アイデンティティ identity】を確立することになります。

このアイデンティティ・クライシスによって、各個人は心にストレスを受け、心にひずみが発生しますが、これは人間の発達過程の範囲内であり、心に傷が発生しない弾性挙動であると言えます。

しかしながら、この時期に別の大きなストレスを受けてストレスの合計が降伏応力を超えると、心に傷が発生することになります。ジャニー喜多川氏による性加害は被害者に大きなストレスを与えたことは疑いの余地もなく、被害者の心は降伏(心がへこむ)のみならず、破壊(心が折れる)された可能性があります。

ジャニー喜多川氏による性加害が止まると、被害者に載荷されていた過剰なストレスは解消されたものと考えられますが、心に発生した傷は残留ひずみとして不可逆的に残ります。これがいわゆる【トラウマ=心的外傷 trauma】です。この心の傷を持っている被害者、特に心の破壊現象を経験した被害者は、小さなストレスの増加によって傷が拡がりやすいことが知られています。これが【心的外傷後ストレス障害 PTSD: post-traumatic stress disorder】です。

加えて問題があるのが、極めて大きなアイデンティティ・クライシスによって、本来この時期に確立されるはずのアイデンティティが、被害者には十分に確立されていない可能性があるのです。この場合、社会における自分の居場所を見つけられずに苦しむことになり、不安症やうつ病にかかる可能性が指摘されています。被害は、加害行為時の被害だけでなく、この加害後に発生する被害が小さくないのです。

以上のように、人間の心は固体の力学挙動と類似した応力(ストレス)-ひずみ関係を示します。トラウマ(残留ひずみ)を治療することは簡単ではなく、被害者には社会からの一定の配慮が必要です。ストレスの小さな増加が大きなひずみに発展するのです。

誹謗中傷は暴力行為

2023年9月のジャニーズ事務所による性加害認定は、アイデンティの確立が不十分であった被害者にとって、自分が何かを見つめ直す大きなチャンスであったと言えます。しかしながら、そこに発生したのは、まったく必要のない自己承認欲求をもって正義を振りかざす第三者による激しい【誹謗中傷 slander】でした。

もちろん、この事案において、被害者の補償について論理的な意見を述べるのは「言論の自由」によって保障されています。被害者の主張も常に合理的であるとは言えません。しかしながら、被害者に対する【人格攻撃 ad hominem】は、被害者の心のひずみを増大させる重度の【暴力行為 violent behavior】です(トラウマを持っていようがいまいが誹謗中傷は暴力行為に他なりません)。日本社会では、自分と異なる意見の要因を論者の人格に求めて叩くことが横行していますが、これは大きな勘違いです。言説の真偽は論者の人格の善悪とは無関係です。

近年のインターネット社会においては、【サイバー・カスケード cyber cascade】による誹謗中傷が止まりません。インフルエンサーに忠誠を誓う【集団極性化 group polarization】した集団の戦闘員が、気に入らない相手を敵認定したインフルエンサーの犬笛を合図に、抗することができない多量の誹謗中傷を一斉に投げかける【集団攻撃 mass attack】が展開されています。暴徒と化した彼らが求めているのは、社会正義ではなく、ゲームに参加して勝つことなのです。

心に傷を持った児童性被害者に対して集団攻撃が行われた場合、当然ストレスは瞬時にピークに達し、心が破壊されるのは自然な成り行きです。このとき最も懸念されることは、アイデンティティの確立が不十分な被害者が自己破壊的行動を起こすことであり、その最悪の結果が自殺です。

今こそ私たち日本国民は、誹謗中傷という暴力のメカニズムについて強く認識し、社会で誹謗中傷が生じないよう集団で監視することが重要です。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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